2023年3月31日金曜日

【別冊シーサイドももち】〈031〉開局! よかトピアFM(その5)今日のゲスト 7月

埋め立て地にできたニュータウン「シーサイドももち」の、前史から現代までをマニアックに深掘りした『シーサイドももち―海水浴と博覧会が開いた福岡市の未来―』(発行:福岡市/販売:梓書院)。


この本は、博多・天神とは違う歴史をたどってきた「シーサイドももち」を見ることで福岡が見えてくるという、これまでにない一冊です。


本についてはコチラ


この連載では「別冊 シーサイドももち」と題して、本には載らなかった蔵出し記事やこぼれ話などを紹介しています。ぜひ本とあわせてお楽しみいただければ、うれしいです。


過去の記事はコチラ。

1(「よかトピアに男闘呼組がやってきた!」)
2(「ダンスフロアでボンダンス」)
3(「よかトピアの「パオパオ・ロック」とは。」)
4(「開局! よかトピアFM(その1)KBC岸川均さんが育てた音のパビリオン」)
5(「思い出のマッスル夏の陣 in 百道」)
6(「最も危険な〝遊具〟」)
7(「開局! よかトピアFM(その2)1週間の全番組とパーソナリティー」)
8(「ビルの谷間のアート空間へようこそ」)
9(「グルメワールド よかトピア」)
10(「元寇防塁と幻の護国神社」)
11(「よかトピアのストリートパフォーマーたち」)
12(「百道地蔵に込められた祈り」)
第13回(「よかトピアのパンドールはアジアへの入り口」)
第14回(「あゝ、あこがれの旧制高校」)
第15回(「よかトピアが終わると、キングギドラに襲われた」)
第16回(「百道にできた「村」(大阪むだせぬ編)」)
第17回(「百道にできた「村」(村の生活編)」)
第18回(「天神に引っ越したよかトピア 天神中央公園の「飛翔」」)
第19回(「西新と愛宕の競馬場の話。」)
第20回(「よかトピア爆破事件 「警視庁捜査第8班(ゴリラ)」現る」)
第21回(「博多湾もよかトピア オーシャンライナーでようこそ」)
第22回(「福岡市のリゾート開発はじまりの地?」)
第23回(「ヤップカヌーの大冒険 よかトピアへ向けて太平洋5000キロの旅」)
第24回(「戦後の水事情と海水浴場の浅からぬ関係」)
第25回(「よかトピアへセーリング! オークランド~福岡・ヤマハカップヨットレース1989」)
第26回(「本づくりの裏側 ~『シーサイドももち』大解剖~」)
第27回(「開局!よかトピアFM(その3)今日のゲスト 3~4月」)
第28回(「まだまだあった! 幻の百道開発史」)
第29回(「開局!よかトピアFM(その4)今日のゲスト 5~6月」)
第30回(「百道の浜に舞いあがれ! 九州初の伝書鳩大会」)

※ 2023.4.28 一部タイトルを変更しました。






〈031〉開局! よかトピアFM(その5)今日のゲスト 7月



おなじみのバンド、地元出身ミュージシャン、売り出し中の勢いのある新人に、まさかのあの方まで、多彩なゲストを迎えてアジア太平洋博覧会を音と声で盛り上げた「よかトピアFM」。


今回も引き続きゲスト編です。

季節は夏を迎えて、FM局では旬なミュージシャンをますますたくさん迎えたようです。



【7月】

03日 川嶋みき(川島みき・川島だりあ)

04日 SING LIKE TALKING(シング・ライク・トーキング)

05日 SHOWER(シャワー)

06日 いんぐりもんぐり

07日 GRAND PRIX(グランプリ)

09日 南こうせつ

11日 THE STREET BEATS(ザ・ストリート・ビーツ)

13日 小森田実(コモリタミノル)

14日 LOUDNESS(ラウドネス)

14日 Sheila Majid(シーラ・マジッド)

14日 三宅裕司

16日 徳永英明

19日 ZIGGY(ジギー)

20日 河島英五

24日 桑名正博

25日 高橋研



7月3日は川嶋みきさん。1988年に「川島みき」から「川嶋みき」にお名前を変えられ、現在は「川島だりあ」のお名前で活動されている歌手です。
よかトピアFMに出演されたのは、「川嶋みき」名義での最初で最後のシングル『Winding Road』(6月21日発売)を発売し、アルバム『Natural Hearts』(7月21日発売)のリリースが近付いているときでした。
のちにはバンド「FEEL SO BAD」を結成され、アニメ『地獄先生ぬ~べ~』(テレビ朝日。原作は真倉翔さん)のオープニングテーマ『バリバリ最強No.1』がヒットたことでもよく知られています。



4日のゲスト、シング・ライク・トーキングはミュージシャンから一目置かれる実力派のグループ。現在は佐藤竹善さん(Vo)・藤田千章さん(key)・西村智彦さん(G)で活動されています。ご出演されたのは、3rdシングル『City On My Mind』(6月25日発売)、2ndアルバム『CITY ON MY MIND』(7月25日発売)のころでした。

※オフィシャルサイトにこれまでのディスコグラフィーがアーカイブされています。このブログでも参照しました。



5日のシャワーは、5人組の男性グループ。テイチクから6月21日にアルバム『SUNSET GRAY』を発売したタイミングでのご出演です。大人っぽくて、80年代らしいサウンドが魅力的でした。



いんぐりもんぐりはロックバンド。1985年にデビューしたときはメンバー全員が高校生だったことで話題になりました。翌年には、ラジオ「オールナイトニッポン(2部)」(ニッポン放送)のパーソナリティーや、テレビ「モモコクラブ」(TBS)にレギュラー出演するなど大人気でした。1989年2月に発売された、アニメ『おぼっちゃまくん』(テレビ朝日。原作は小林よしのりさん)の主題歌『ぶぁいYaiYai』でご存知の方もいらっしゃるかもしれないですね。
この年の5月21日にはシングル『-5cmの愛を抱きしめて』、7月21日にはアルバム『白黒』をリリースするなかでのご出演でした。翌年に解散して、ボーカルの永島浩之さん・前島正義さんがあらたにINGRY'Sとして活動を続けられましたので、よかトピアFMへのご出演はバンドとして充実した活動時期のことでした。



7日はグランプリ。5人組のハードロックバンドです。出演されたときは、7月21日にシングル『Drive On Road』とアルバム『TREASURE HUNTING』の同時リリースを控えていました。『Drive On Road』はミディアムテンポの曲ですが、重厚な演奏にボーカルの山田信夫さんの艶のあるボーカルがよく合っている名曲です。



9日には、ふたたび南こうせつさんがよかトピアFMに登場されました(前回は6月13日でした →029〉)。
しかも今回はゲストではなく、パーソナリティとして16:00~20:00のスペシャル番組を担当されています。さすが「おいちゃん」の愛称で、ラジオパーソナリティとしても長年全国のリスナーに親しまれてきた方。長時間の生放送にもかかわらず、7月29・30日に迫った野外フェス「サマー・ピクニック」の話などで盛りあがったそうです。当日はあいにくの雨だったのですが、放送ブースの前には「おいちゃん」の姿を見ようとファンが詰めかけました。まだradikoなどのラジオの配信手段が整っていない時代に、福岡のファンだけの特別な時間になりました。

実はこうせつさんは、2回のラジオ出演だけではなく、4月23日(日)には、よかトピア会場内のリゾートシアターで「KDD 001 シーサイドライブ 南こうせつ亜細亜的音楽園(エイジアンサウンドパラダイス)」というコンサートも開かれています。小倉祇園太鼓との共演や、アジア音楽にも詳しい実力派バンドmar-paをゲストに迎えて、13時半から3時間を超えるステージでした。
さらには、よかトピア閉会後もこうせつさんとシーサイドももちの関係は続くのですが、そのお話はまたの機会に。


(福岡市博物館所蔵)
「よかトピアFM」のパンフレットを開くと、こんな感じ。
キャッチコピーは、海辺の瞬間FMステーション!




11日のストリート・ビーツは、1988年11月にメジャーデビューしたバンド。クラッシュなどの影響を受けたパンクサウンドは、多くのファンから支持されています。
2007年には映画『クローズZERO』(監督:三池崇史さん。原作:高橋ヒロシさん)に劇中歌を提供し、ナレーションやライブシーンへの出演でも参加されました。最近では、かつてメンバーだったエンリケさん(バービーボーイズのベーシスト。浜崎あゆみさんのバックバンドなども担当されています)がツアーメンバーに復帰されて、35年にわたって精力的に活動を続けられています。
ご出演された1989年7月といえば、5日に2ndアルバム『VOICE』をリリ-スされたばかりでした。

※オフィシャルサイトにこれまでの歴史や作品がアーカイブされています。このブログでも参照しました。



小森田実さんはシンガーソングライター。大分県日田市のお生まれで、その後に福岡県に移られたのだとか。九州大学農学部の大学院で学びながら音楽活動をおこなわれ、バンド「小森田実&ALPHA」で1983年にデビューされました。
グループを離れた後は、1989年6月25日にシングル『夏だけの女神(ディアーナ)』とアルバム『SQUALL』でソロデビューされています。よかトピアFMへのゲスト出演はその直後でした。
ご自身の活動のほかにも、数え切れないほどの楽曲提供を続けられ、SMAPのシングル『らいおんハート』(2000年。作詞は野島伸司さん)の作曲・編曲でも有名です。



14日のゲスト、ラウドネスは現在まで続くヘヴィメタルバンド。1981年にデビューしたあと、海外でもシングルやアルバムを発売し、欧米でのコンサートを続けていました。
その世界での活躍ぶりから、よかトピアには「アジア太平洋」のテーマにふさわしい、うれしいゲスト。ただ、よかトピアFMに出演した1989年は、オリジナルメンバーの仁井原実さん(Vo)がバンドを離れ、大きな変化を迎えた年でした。新しいボーカルにマイク・ヴェセーラさんを迎えて、9月17日にアルバム『SOLDIER OF FORTUNE』を発売しますので、心機一転の直前、バンドにとってもファンにとっても大事な時期に来局されたことになります。



この日はシーラ・マジッドさんもゲストに来られています。シーラさんはマレーシアの歌手。マレーシアではすでにデビューされていましたが、1989年9月27日に日本でもアルバム『シナラン』が発売されています。アルバムのタイトル曲『シナラン』はリズムが効いたシティポップの雰囲気をもっていて、とてもかっこいい曲です。
シーラさんは放送の翌日と翌々日には、よかトピアのイベント「アジア太平洋映像まつり」にも出演されています。このイベントは、日本・韓国・中国・マレーシアのテレビ局がそれぞれ自分の国のテレビについて紹介する番組を制作して、1週間にわたって会場内のリゾートシアターで上映したもの。それにあわせて各国の歌手がコンサートを開き、15日・16日にはマレーシアの番組の上映を、シーラさんの歌声が盛り上げました。



さらには、劇団「スーパー・エキセントリック・シアター」の三宅裕司さんも、この日にゲスト出演されています。出演されたのは、その日の締めくくりを担当する番組「よかトピア Sound Sailing」(19:30~22:00放送 →007)。ラジオ「三宅裕司のヤングパラダイス」(ニッポン放送)やテレビ「平成名物TV 三宅裕司のいかすバンド天国」(TBS。ただよかトピアFMへの出演時は、福岡ではまだネットされていませんでした)で大人気の三宅さんをこの日の最後に迎えて、14日は3組のゲストが出演した豪華な一日になりました。


(福岡市博物館所蔵)
「よかトピアFM」の番組票(3~4月)



16日は歌手の徳永英明さんがゲスト。徳永さんは福岡県柳川市でお生まれになっています(中学・高校時代は兵庫県に移られました)。1986年にシングル『レイニー・ブルー』でデビューされて以来、第一線で活躍されてきました。出演された年には、5thアルバム『REALIZE』をリリースされています(5月21日)。この年は福岡市制100周年記念の各イベントにも出演されました。

※徳永英明さんのオフィシャルサイトでは、ディスコグラフィーや活動履歴が日付まで詳しくアーカイブされています。このブログでも参照しました。



19日のジギーはロックバンド。1987年にデビューして、翌年に2枚のシングル『I'M GETTIN BLUE』と『GLORIA』を同時リリースしました(1988年5月25日発売)。このうち『GLORIA』は、1989年のドラマ『同・級・生』(フジテレビ)の主題歌になったことで、ふたたびシングルとして発売されて、大ヒットしています(のちに『I'M GETTIN BLUE』も再度発売されました)。
ドラマの放送が7月3日~9月25日、『GLORIA』の再発売が7月26日ですので、よかトピアFMへのご出演は、まさにブレークのまっただ中のことでした。



続く20日には、河島英五さんが出演されています。河島さんは1975年にグループ「河島英五とホモ・サピエンス」でメジャーデビューされたのち、ソロのシンガーソングライターとして活動されていました。
今回のゲスト出演は、よかトピアのイベントにあわせたもの。会場内のリゾートシアターでは、7月19日(水)~23日(日)の5日間、「日本のまつりパート2 四国・中国編」というイベントが開かれていて、河島さんは19日・20日に出演されています。四国でお遍路しながらライブをやったことがあるという河島さんは、このステージでヒット曲『酒と泪と男と女』などを歌われました。
なお、手元の資料によると、ゲスト出演は13時のようですので、番組は「NAGISA MUSIC PAVILION」だったはずです(→〈007〉)。
ちなみに河島さんも出演された「日本のまつり」は、よかトピアで日本全国の祭りや芸能を紹介するシリーズもののイベントでした。かなり演目が盛りだくさんですので、またあらためて調べて、このブログで紹介したいと思っています。



24日は桑名正博さん。桑名さんも翌日によかトピアのイベント「パオパオロック」に出演されるのにあわせて、ゲストにいらっしゃいました。この不思議な名前のイベントについては、このブログの第3回でご紹介しましたので、ぜひあわせてご覧ください(→〈003〉)。



7月最後のゲストは高橋研さんです。高橋さんは1979年にデビューされたシンガーソングライター、プロデューサー。音楽だけではなく、映画『戦国自衛隊』(角川春樹事務所、監督は斎藤光正さん)に出演された経歴もお持ちです。現在も精力的にライブ活動を続けられています。
楽曲提供も多く、作詞を共同でおこなったアルフィー『メリーアン』『星空のディスタンス』、小泉今日子『The Stardust Memory』、作曲を担当したおニャン子クラブ『真っ赤な自転車』『じゃあね』、作詞・作曲・編曲の『翼の折れたエンジェル』など、ヒット曲をたくさん手がけられています。よかトピアFMにゲストに来られたときは、6月21日にご自身のアルバム『PATROLMAN』を発売ばかりでした。

※オフィシャルサイトにディスコグラフィーや楽曲提供リストがアーカイブされています。このブログでも参照しました。





ここまで数えてみると、7月は実に16組ものゲストを迎えています。4月と並んで一番ゲストが多い月になりました。

14日には、ラウドネスシーラ・マジッドさんと三宅裕司さんを迎えるなど、博覧会ならではのバラエティにとんだ顔ぶれになっています。

会場への入場者も夏休みに入ってどんどん増えていきましたので、ゲストを一目見ようと、放送ブースの前はさらににぎやかになっていったようです。


このゲスト編のブログも、今回は博覧会の閉会まですべてご紹介するつもりでしたけど、そのゲストの多彩さで、まったく8・9月までたどり着きませんでした…。残りのゲストを数えてみたら、8・9月であと11組もありました…。

もう一息。次回こそは完走したいと思います…。


【参考文献】

・『アジア太平洋博ニュース 夢かわら版'89保存版』((株)西日本新聞社・秀巧社印刷(株)・(株)プランニング秀巧社企画編集、(財)アジア太平洋博覧会協会発行、1989年)

・『アジア太平洋博覧会―福岡'89 公式記録』((株)西日本新聞社編集製作、(財)アジア太平洋博覧会協会発行、1990年)

・『radio MOMO よかトピアFMの記録』(FMよかトピア事務局、1989年)

・『よかトピアFMタイムテーブル』VOL1~3((財)アジア太平洋博覧会協会)


#シーサイドももち #アジア太平洋博覧会 #よかトピア #よかトピアFM #シング・ライク・トーキング #南こうせつ #ザ・ストリート・ビーツ #コモリタミノル #ラウドネス #シーラ・マジッド #徳永英明 #高橋研


Written by はらださとしillustration by ピー・アンド・エル


※ 2023.4.28 タイトルを変更しました。

2023年3月28日火曜日

福岡市史講演会「西島伊三雄と都市福岡のデザイン」を開催しました

2023年3月4日(土)、第17回福岡市史講演会「西島伊三雄と都市福岡のデザイン」を開催し、多くのお客様にご来場いただきました!


今回の講演会は、いまでは「福岡の顔」ともいえるグラフィックデザイナー・西島伊三雄(にしじま・いさお/1923-2001)による仕事を振り返り、それらが福岡というまちのイメージ形成に与えた影響と、いままさに転換期にある福岡のこれからを考えることをテーマに開催しました。

これまで市史講演会では、『新修 福岡市史』の編さんを通じて得られた学術成果や地域の歴史にまつわるテーマが多かったのですが、今回はこれらとはちょっと毛色の異なる、ややチャレンジングな試みです。


このようなチラシをつくりました。
左下の写真は若かりし頃の西島伊三雄さん!



12時30分、続々とお客様がご来場(事前にお申込みいただき、ありがとうございました)。
そんな中、壇上のスクリーンでは生前の西島伊三雄さんの映像を流し、皆さまにご覧いただきました。

この映像は、専門学校日本デザイナー学院九州校の生徒さんのために制作されたもので、物体の捉え方や描き方など、伊三雄さんが実際に絵を描きながら独特の語り口(ザ・博多弁!)で楽しくレクチャーされている様子が映し出され、場内の皆さんも熱心に見入っておられました。

真剣に絵筆を握る西島伊三雄さん。

九州の形を捉える方法の解説でしょうか。

西島伊三雄さんといえばこの笑顔!


また、ロビーでは伊三雄さんが手がけた書籍の一部を紹介する展示コーナーも展開。
こちらも多くのお客様にご覧いただくことができました。

こんな感じでロビー展示を行いました。

展示したのはほんの一部ですが、それでも数の多さに驚きます。

皆さん足を止めてご覧くださっていました。




そんな伊三雄さんの温かい人柄と実際のお仕事に触れていただいたところで、いよいよ講演会がスタートです。



まずは伊三雄さんのご子息であり、アトリエ童画社長の西島雅幸(にしじま・まさゆき)さんが粋な着物姿でご登場!

西島雅幸さん。

ところでこの羽織を裏返した衣装は博多どんたくの「肩裏(すらせ)」というもので、羽織の裏に描かれた絵を見せるというもの。
これが古くから伝わるどんたくに参加する際の「正装」で、博多ッ子の粋の象徴だそうです。

表はこんな感じ。羽織を肩脱ぎのような感じにするんですね。


そして背中には伊三雄さんの絵が…!
このような絵がチラッと見える所が粋なんです。




さて、お話の方は「西島伊三雄が残したもの」と題して、伊三雄さんが手がけてこられた作品の数々(修行時代の貴重なお話も!)や、博多に根差した多くの活動について一つ一つ振り返っていただきました。

今でも見る「萬代」や「おたふくわた」の広告は
図案屋として初期に関わったお仕事だそう!


また、伊三雄さんの代名詞ともいえる「童画」が生まれた背景にあった第二次世界大戦時の従軍体験、そして有名な福岡市地下鉄のシンボルマークに込められたふるさとへの想いなど、伊三雄さんの多彩な仕事ぶりと、ふるさとを愛した伊三雄さんの人間味あふれるエピソードが、雅幸さんの軽快な博多弁によって語られました。

伊三雄さんといえばおなじみの「童画」。




続いて、専門学校日本デザイナー学院九州校校長であり鍋島段通の作家でもある大庭香代子(おおば・かよこ)さんが加わって、「教育者としての西島伊三雄」をテーマに、西島雅幸さんと二人でお話しいただきました。

大庭香代子さん。
こちらもステキなお着物でのご登壇です。


お二人のお話からは、1970年大阪万博の幻となった西島伊三雄デザインのシンボルマークや即席ラーメン「うまかっちゃん」のデザインにまつわる裏話など、思い出とともに知られざる逸話がさらりと飛び出します。

右が実際に採用になった大高猛デザインのシンボルマーク。
左が一度は決定した西島伊三雄デザインのマーク。下の2つもカッコイイ!


あの文字と絵が西島伊三雄さんというのはよく知られていますが
「うまかっちゃん」というネーミングの発案も実は伊三雄さん!


伊三雄さんは生前、弟子や生徒に対しても技術的な事はあまり多く語らなかったそうですが、よく「みんな仲良うしようや」「ものをよく見なさい、よく観察しなさい」とおっしゃっていたそうです。
この言葉からは、おおらかでありながら、時に鋭く時勢を読み、求められているものを見極めて描いていく背中が想像されました。

「すらせ」について皆さんに説明してくださった西島雅幸さん。




休憩をはさみ、次は新天町にある「ギャラリー風」の代表である武田義明(たけだ・よしあき)さんに「図案屋からグラフィックデザイナーへ」と題して、福岡のデザイン史の中からみた西島伊三雄についてお話しいただきました。

武田さんはギャラリー風で福岡のクリエイターや作家、また美術やデザインの道を志す学生の活動を後押しするだけでなく、福岡のデザイン業界について自ら『風の街・福岡デザイン史点描』(花乱社、2017年)や『福岡現在芸術ノート』(花乱社、2021年)など著作としてまとめられています。


武田義明さん。


福岡の広告業界や当初「図案家」と呼ばれた人々の活動は、昭和初めに本格的に始動しますが、その後の戦中、そして戦後の高度成長期にいたる時流の中での広告・宣伝業界を見ていくと、「図案屋」は「デザイナー」となり、時代の求めに応じてその活動が紆余曲折してきたことが分かります。
彼らは戦前の商業美術連盟や戦後の日本宣伝美術に代表されるようなデザイナーによる団体を各地で立ち上げ、個人活動だけではなく一緒になって切磋琢磨していったのでした。

そういった活動を引っ張った仲間の一人が、のちに作家となる松本清張さんでした。

武田さんのお話からは、福岡の西島伊三雄さんや小倉の松本清張さんが、それぞれの地で中心となり団体活動を活発化させたことで、地方でも東京からの仕事を待つだけでなく、デザイナーたちが力を合わせて自らの存在を発信していこうとしていたことが分かりました。

〝デザイナー〟松本清張さんの初期作品もご紹介くださいました。




つづいて、松本大学からお越しいただいた古川智史(ふるかわ・さとし)さんに、「福岡の広告産業の特質について」と題してお話しいただきました。

古川さんのご専門は「経済地理学」です。経済地理学とは、経済活動に地理的要素がどのくらい影響を及ぼしているかを研究する学問で、経済学と地理学の両方に関連しています。
以前、ご自身のご研究の中で福岡の広告産業を取り上げておられた関係で、今回唯一、福岡の外からの視点でのお話をお願いしました。

古川智史さん。


お話では、首都圏の広告業界では段階ごとに仕事が分業化されていることが多いそうですが、福岡の広告業界では、個人のデザイン事務所の活動が盛んで各自が対応できる範囲が広く、市場規模がコンパクトな分、横のつながりが強いことが特徴として挙げられました。

また、広告を発注する側とそれを受けて作る側の両方に、「支店が多く小売業や流通業が盛んである」という福岡独自のまちの特徴も、大きく影響しているようでした。

客観的に福岡の広告業界を捉えた、興味深いお話でした。




さて、プログラムの最後はシンポジウムです。

これまでご講演いただいた皆さまに加え、ファシリテーターとして福岡市史編集委員会の有馬学(ありま・まなぶ)委員長が参加し、テーマである「西島伊三雄と都市福岡のデザイン」について、西島伊三雄をはじめとしたデザイナーの仕事が都市のイメージ形成に与えた影響に迫りました。

有馬学 福岡市史編集委員会委員長。


皆さんのお話は多岐にわたり、戦中におけるグラフィックデザイン界の大きなうねりのなかで、福岡の中心人物がまさに西島伊三雄であったこと(有馬委員長)、それは博多の祭り文化によって育まれたこと(西島さん)、あるいは根底にあった郷土愛がデザインと結びつき(武田さん)、都市化によるニーズによってそれが表出していったこと(古川さん)など、とても興味深い切り口での話題が飛び交いました。





また、現在も地下鉄マーク企業が作るカレンダーなど、日常的に「西島伊三雄デザイン」に触れることで、次世代にもそのイメージが伝わっていく(大庭さん)といったお話もあり、福岡で暮らす人々の身近にあった西島伊三雄デザインが、結果として人々の中にある福岡というまちのイメージ像を作り上げるのに大きな影響を与えたことが、皆さんのお話の中から徐々に浮かび上がってきました。


最後に有馬委員長から「福岡は2千年にわたって外部との交流で成立・発展している都市であり、だからこそそこから福岡の今後を考えていくことが重要。福岡というローカリティの中から育ってきたデザイナーがどう活躍していくかに期待したい」という展望が語られ、シンポジウムのまとめとなりました。





そして〝締め〟は雅幸さんからのご発案で、伊三雄さんが愛した童謡「ふるさと」をご来場の皆さまと一緒に歌ってなごやかに閉会しました。

最後は親交のあった小松政夫さんが伊三雄さんについて語った
ナレーションで締めるという贅沢さ!



講演会にお越しくださった皆さま、また講師の皆さま、長時間にわたりご参加くださり、本当にありがとうございました!

また、今回の講演会は準備の段階から「一般社団法人福岡デザインアクション(FUDA)」さんに多大なご協力をいただきました。
ここで改めてお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。

▼福岡デザインアクションについてはコチラ。



なお、この講演会の様子は、福岡市博物館公式YouTubeでの動画公開も予定しています(鋭意動画編集中です!)。
また講演記録も、来年3月末に発行予定の『市史研究 ふくおか』第19号への掲載を予定しておりますので、そちらもどうぞお楽しみに!



らーめんたい((C)西島伊三雄)



text by さだきよ&かみね

2023年3月24日金曜日

【別冊シーサイドももち】〈030〉百道の浜に舞いあがれ! 九州初の伝書鳩大会

埋め立て地にできたニュータウン「シーサイドももち」の、前史から現代までをマニアックに深掘りした『シーサイドももち―海水浴と博覧会が開いた福岡市の未来―』(発行:福岡市/販売:梓書院)。


この本は、博多・天神とは違う歴史をたどってきた「シーサイドももち」を見ることで福岡が見えてくるという、これまでにない一冊です。


本についてはコチラ


この連載では「別冊 シーサイドももち」と題して、本には載らなかった蔵出し記事やこぼれ話などを紹介しています。ぜひ本とあわせてお楽しみいただければ、うれしいです。


過去の記事はコチラ。

1(「よかトピアに男闘呼組がやってきた!」)
2(「ダンスフロアでボンダンス」)
3(「よかトピアの「パオパオ・ロック」とは。」)
4(「開局! よかトピアFM(その1)KBC岸川均さんが育てた音のパビリオン」)
5(「思い出のマッスル夏の陣 in 百道」)
6(「最も危険な〝遊具〟」)
7(「開局! よかトピアFM(その2)1週間の全番組とパーソナリティー」)
8(「ビルの谷間のアート空間へようこそ」)
9(「グルメワールド よかトピア」)
10(「元寇防塁と幻の護国神社」)
11(「よかトピアのストリートパフォーマーたち」)
12(「百道地蔵に込められた祈り」)
第13回(「よかトピアのパンドールはアジアへの入り口」)
第14回(「あゝ、あこがれの旧制高校」)
第15回(「よかトピアが終わると、キングギドラに襲われた」)
第16回(「百道にできた「村」(大阪むだせぬ編)」)
第17回(「百道にできた「村」(村の生活編)」)
第18回(「天神に引っ越したよかトピア 天神中央公園の「飛翔」」)
第19回(「西新と愛宕の競馬場の話。」)
第20回(「よかトピア爆破事件 「警視庁捜査第8班(ゴリラ)」現る」)
第21回(「博多湾もよかトピア オーシャンライナーでようこそ」)
第22回(「福岡市のリゾート開発はじまりの地?」)
第23回(「ヤップカヌーの大冒険 よかトピアへ向けて太平洋5000キロの旅」)
第24回(「戦後の水事情と海水浴場の浅からぬ関係」)
第25回(「よかトピアへセーリング! オークランド~福岡・ヤマハカップヨットレース1989」)
第26回(「本づくりの裏側 ~『シーサイドももち』大解剖~」)
第27回(「開局!よかトピアFM(その3)今日のゲスト 3~4月」)
第28回(「まだまだあった! 幻の百道開発史」)
第29回(「開局!よかトピアFM(その4)今日のゲスト 5~6月」)

※ 2023.4.28 一部タイトルを変更しました。




〈030〉百道の浜に舞いあがれ! 九州初の伝書鳩大会


書籍『シーサイドももち―海水浴と博覧会が開いた福岡市の未来―』という本をつくった際、西新にかつて存在した「百道海水浴場」のことを調べていて、毎日毎日気が遠くなるほどの新聞記事をひたすらめくって記事をチェックしていたのですが、その中で気になるイベントを見つけました。

 

それがこちら。

 



_人人人人人人人_

> 伝 書 鳩 大 会 <

 ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄

 

そう、伝書鳩大会。なんじゃそりゃ……??

主催は海水浴場と同じく福岡日日新聞社(現在の西日本新聞社)のようですが、本書の中の「百道海水浴場年表」という超絶ニッチな年表には収録したものの、詳しい内容までは掲載できず。

 

というわけで、その後もずっと気になっていたこの不思議な大会について、ちょっと調べてみました。

 

* * * * * *

 

この社告にあるとおり、「九州伝書鳩大会」と銘打ったこの大会は大正14年に開催され、主催が福岡日日新聞社、「九州はとの会」が賛助として加わり行われました。

そもそも、通信社と伝書鳩の縁は深く、今のようにインターネットがない時代、もっとも早く写真などの画像を届ける通信手段として、伝書鳩が使われていました。西日本新聞社にも昭和33年までは屋上に伝書鳩を飼育する鳩舎があったそうです。

 

ぼくたちが届けます!
(※写真はイメージです)


さて、こうして百道で開催されたこの「九州伝書鳩大会」、当時の久留米師団など軍部をはじめ、九州一円の「愛鳩家」たちがこぞって参加、「本日の百道海水浴場は鳩の国と化する盛況を呈するであろう」と報じられました。

それもそのはず、調べてみるとなんとこれが九州で初めて開催された伝書鳩レース


そんな事もあり、皆さん気合が入っていたようで、なかでも久留米第十二師団参謀本部は、その年に生まれた幼鳩16羽を連れ、移動訓練も兼ねて「移動自転車曳鳩舎」とともに大会前から「百道テント村」(→第16回第17回)に滞在して百道の浜で飛翔訓練を行うという力の入れようだったそうです。


記事によれば、レースはまず午前7時に急行電車福岡駅に参加鳩を持ち寄り、午前10時には二日市駅、続いて久留米駅からそれぞれ放鳩。ハトが各自の鳩舎に帰着したものを百道海水浴場事務所前に設置した決勝点に持ち寄り、その到着順で決勝とした、とありました。

通常、鳩レースのルールは、同一の場所から飛ばしたハトが各地にある自分の鳩舎に戻るまでの時間を測り、その時間と距離から分速を算出して順位が決まります。ですが本大会では鳩舎を百道に持ち込み、そこをゴールとしたようです。


あくまでもハトの「帰巣本能」に頼る伝書鳩。
しかしそのメカニズムはまだよく分からないのだそうです。
(※写真はイメージです)

またそれとは別に、百道から福岡県水産場へ通信を搭載したハトを飛ばしたり、お昼からは百道―久留米間百道―志賀島間の往復リレーが行われたり、福岡日日新聞社の熊本支社や、その他若杉山など県内の林間学校からハトがやって来たり、とにかくこの日の百道はハト三昧!!  まさしく「鳩の国」です。

ちなみにこの時、熊本支局から3時間かけて運ばれたニュースは、南九州中等学校野球大会優勝戦の結果や当地の天気で、これらは海水浴場内に設けられた展示会場に展示されたそうです。展示会場では、レース鳩の展示や鳩具等の展示即売会なども行われ、これは一般の人たちも見学することができました。


二日市駅→百道(直線約20㎞)
久留米駅→百道(直線約38㎞)


熊本市→百道(直線約95㎞)


さてさて、肝心のレース結果はというと、とくに二日市から飛ばされた福岡市の中島自動車商会が飼育する「アキヅキ1号」が、久留米―福岡間約38㎞を所要時間25分で飛翔、分速1520mの好成績を納めました!

分速約1.5㎞ということは、時速にすると約90㎞……早ッ!!

それぞれの部門の優勝者には、福岡日日新聞社寄贈の賞状とメダル、それに東京大日本鳩具製作所寄贈の「銀足鐶」(鳩の足につける輪っか)が贈られたそうです。

 

最後は百道の空に300羽の「鳩笛」をつけたハトを一斉に飛ばし、まるで「空中オーケストラ」のように「百道の空に乱舞して異様の音楽を合奏しつつ一斉に帰還して行」ったそうです。帰還していったのか……。

 

かくして九州初の伝書鳩大会は大成功のうちに幕を閉じたとのことでした。

 


* * * * * *


いかがだったでしょうか?

いま考えるとなかなかカオスなイベントにも感じますが、当時の伝書鳩は報道でも軍事でも第一線の通信手段として広く使われていたため、一般へのハト人気も高く、想像以上に盛り上がったようです。

しかし九州で初めて開催された鳩レースが百道で行われたとは驚きでした。


ちなみに最後の「鳩笛」を付けた鳩を飛ばす「空中オーケストラ」、2014年の札幌国際芸術祭のオープニングセレモニーとして、あの坂本龍一さんが監修した「Whirling noise(ワーリング ノイズ) – 旋回するノイズ」として実施されていました。すごい!




このほかにも百道の浜では昔からまだまだ不思議なイベントが山ほど開催されています。引き続き紹介していきたいと思いますので、どうぞお楽しみに!





【参考文献】

・『鳩』第3年20号(大正14年8月15日、鳩園社)

・西日本新聞社史編纂委員会編『西日本新聞社小史』(1962年、西日本新聞社)

・一般社団法人日本鳩レース協会ホームページ「鳩レースって何?」/http://www.jrpa.or.jp/general/index.html

・新聞記事
大正14年7月30日『福岡日日新聞』朝刊3面「本日百道海水浴場で九州伝書鳩大会 久留米師団からも参加 競翔と展覧会と飛行機放鳩」
大正14年7月31日『福岡日日新聞』朝刊3面「百道海水浴場 九州伝書鳩大会 各地よりの放鳩大成功 三百羽の空中オーケストラ」


#シーサイドももち #百道海水浴場 #伝書鳩 #鳩レース #鳩の国


Written by かみねillustration by ピー・アンド・エル

2023年3月20日月曜日

博物館出前学習 玄界小学校編 その1

福岡市博物館ブログをご覧いただき、ありがとうございます。

今回は、福岡市西区玄界島で行った出前学習のお話です。出前学習とは、博物館のスタッフが市内の小中学校を訪れ、授業や体験プログラムを行う取り組みのことです。


令和51月中旬、玄界小学校の先生から、博物館資料を活用した学習ができないだろうかというご相談をいただきました。対象は、小学校3年生。昔の道具や生活の知恵などを調べることを通じて、道具とともにくらしが変化してきたことを学ぶ、という社会科の単元です。

 玄界島は、18年前の今日、平成172005)年320日に起こった福岡県西方沖地震に見舞われ、全島避難を余儀なくされるほどの大きな被害を受けました。島の皆さんの団結力が功を奏し、わずか3年で希望者全員の帰島が実現しましたが、この震災をきっかけに、島の歴史や生活の様子を伝える多くの資料が失われました。現在、玄界小学校に通う生徒さんは震災後に生まれており、先生方は震災後の島の環境や生活の在り様を踏まえつつ、震災前の島の歴史や文化をどのようにして子どもたちに伝えていくのか、という玄界島ならではの地域学習の課題をお持ちでした。

そこで先生と相談しながら、「玄界島の昔のくらし」という授業を計画し、学校への出前学習としては初めて博物館資料を館外に運び出すことになりました。

島の将来を担う子どもたちに本物をみて、触れて、五感で島の歴史文化を学んでもらいたいという先生方の熱意がかたちとなりました。45分の授業ですから、持ち込むのは昔と今の島の生活につながるもの、島のくらしを象徴するもの、安全に運搬が可能な3点に絞り込みました。

これであとは渡船が欠航しないよう天に願うだけです!

 

みんなの願いが通じたのか、授業当日(216日)はとてもいい天気に恵まれ、博多港を出た福岡市営渡船・みどり丸は無事玄界島へ。今回は、初めての取り組みということで学芸員と教育普及担当職員の計6名で伺いました。港から島の中腹にある玄界小学校までは徒歩。ずっと坂道が続いています。私たちは資料を抱え、かつての島の面影を残す急な石段をのぼり小学校へ向かいました。




授業が始まる前に待機した部屋には、学校の古いアルバムや資料が保管されていました。その中に昭和20年代後半の玄界島の航空写真を発見。急遽こちらの写真を使わせていただくことにしました。

授業の会場となった音楽室に博物館から持ち込んだ資料を並べ、それを布で隠して出前学習のスタートです。講師は民俗担当学芸員の河口。

授業ではまず、さきほどお借りした玄界島の航空写真と、昨年夏に撮影した島の写真を見比べながら、何が変化しているか子どもたちに問いかけました。昔は砂浜があったこと、遠見山の頂上付近まで畑があったこと、車が通れる道が今のようにないことなど、子どもたちが次々に気づいたことを発表します。では、「昔はどんな道だったのか」、「荷物はどのように運んでいたのか」を問うと、子どもたちは「手で運んでいた?」と自分なりの考えを発表してくれました。

これを受けて、博物館で準備した昔の玄界島の生活の様子を写した写真を見ながら解説です。震災前までは、雁木段とよばれた石段で島の人びとみんなが上り下りしていたこと。そして荷物は「オイ」(背負い梯子)を使って運んでいたことなど、写真を見ながらかつての島の生活環境について学びました。

「オイ」について紹介すると子どもたちは「小屋にあるやつだよね」と身近に残る「オイ」の存在に気づき、今と昔で道具の大切さに違いがあることを実感したようでした。


後半では、テーブル上に並べた資料にかけた布をひとつずつめくりながら授業を展開します。

まず細長い鉄の棒「カナテコ」という道具。子どもたちに、棒の先端の形を観察したり、実際に手に持って重さを体感してもらい、「どうやって使うものか」、「何に使った道具であるのか」を問いました。

昔の写真を見ると家の周りが石垣になっている、という子どもたちの気づきから、「カナテコ」は、石垣を造際にテコの原理を使って石を動かすための道具であることを導き出しました。今でも島に残る石垣がどのようにして造られていたのか、石垣を造ることがなくなると道具も必要とされなくなることを伝えることができました。


続いて、古い着物を再利用して作られた昭和時代の手袋や、海士が潜水漁の際に使用した「ハチオ」と呼ばれる藁でできたベルトも紹介しました。なかでも手袋については、「分厚い」「あんまり暖かくない」などさまざまな反応がありました。

手袋の素材にも注目し、木綿布のハギレを組み合わせて作られていることや、中には綿がたくさん詰められていることなど、普段使っている手袋との違いを考えてもらいました。



最後に紹介したのは、昔と今の子どもたちとをつなぐものです。手持ちで島へ運ぶことが難しいこの資料については、様々な角度から撮影した写真を使って問いかけ、それが何の道具か当ててもらいます。

いろいろな言葉が挙るなか、途中で「あかり」という発言が出たところで、資料の全体像を映し出します。それは明治時代に島の夜回りで使用されていた「火の要心」を書かれた手持ちの行灯でした。家々が密集するかつての玄界島にとって火災は大きな脅威の一つでした。一人一人の火に対する意識は、今もずっと受け継がれています。このことを伝える一枚の写真を、ここで子どもたちに見てもらいます。それは午後5時の島内放送の写真です。そこに写っているのは5年前の子どもたちの姿。玄界島ではこの時間になると島の子どもたちが当番で拍子木を打ち「火の用心」と島内放送を通じて家々に呼びかけるのが慣例となっています。行灯と島内放送。昔のくらしは途絶えるばかりではなく、かたちが変化しても今なお受け継がれているものがあることを伝えたかったのです。これからも午後5時の島内放送が続くことを願っています。



最後のまとめでは、子どもたちから先生たちと一緒に島内にある昔のくらしの道具を探しに行きたい、もっと島のことについて知りたいという希望が出されました。

ものに直接触れることによって、子どもたちが島の過去と現在が結びついていることについて深く考えるきっかけになったのならば、この出前学習は成功です。

これから先、島の写真などを一緒に整理してはどうだろう、島内のいろいろな場所を子どもや先生たち、博物館スタッフが一緒に歩いてみるのはどうだろうと、アイデアは膨らむばかりです。


玄界小学校へ資料を館外に運び出す取り組みは、これまでの玄界島での調査や里帰り展示の経験を通じて、現地で資料を安全に輸送するための手段や環境を把握できていたことが大きな後押しとなりました。これまでの玄界島と博物館の活動については、ブログの「その2」でお伝えしますので、お楽しみに。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。


(文責:河口綾香 補助:松尾奈緒子)