2024年7月5日金曜日

【別冊シーサイドももち】〈085〉あるときは少年が空中に浮き、あるときはバラタナティアムやカタックを舞う ―よかトピアで大活躍だったインド(その2)―

  

埋め立て地にできたニュータウン「シーサイドももち」の、前史から現代までをマニアックに深掘りした『シーサイドももち―海水浴と博覧会が開いた福岡市の未来―』(発行:福岡市/販売:梓書院)。


この本は、博多・天神とは違う歴史をたどってきた「シーサイドももち」を見ることで福岡が見えてくるという、これまでにない一冊です。


本についてはコチラ


この連載では【別冊 シーサイドももち】と題して、本には載らなかった蔵出し記事やこぼれ話などを紹介しています。ぜひ本とあわせてお楽しみいただければ、うれしいです。







 



〈085〉あるときは少年が空中に浮き、あるときはバラタナティアムやカタックを舞う ─よかトピアで大活躍だったインド(その2)─


1989年にシーサイドももちで開催されたアジア太平洋博覧会(よかトピア)では、参加国の文化を福岡にいながら体感することができました。


今でこそインバウンドでにぎわう福岡市ですが、当時の世の中はこんなにグローバルではなく、インターネットも普及していなくて、GoogleマップもGoogleアースもなかったころ。

そういう海外の文化の体験自体が貴重な機会でした。




なかでもインドのイベントは特に盛りだくさんで、みんな驚いたり、夢中で見入ったりしました。



たとえば、よかトピアでは海外からの参加国・地域は会期中に1度、親善をはかる特別な日「ナショナルデー」「スペシャルデー」をもうけていたのですが、インドも1989年8月15日(火)にナショナルデー「インドの日」を開催しています。


これは福岡市博物館に残されている当日配られたパンフレット


(福岡市博物館所蔵)


開くとこんな感じです。


(福岡市博物館所蔵)



10:30から「リゾートシアター」に来賓を迎えて式典がおこなわれ、そのあとはインドの「バラタナティアム」が披露されました。


(福岡市史編さん室作成)


バラタナティアム」(Bharatanatyam 「バラタナティヤム」など日本語での表記はさまざまあります)は、代表的なインド舞踊で古典音楽にあわせて踊るソロダンス


いろいろな役を演じ分けながら、手足の独特なポーズや強調した顔の表情などを見せていきます。

なかでも現代のダンステクニック「アイソレーション」のように、体を固定したまま頭を水平に動かしたりする動きはよく知られているかもしれませんね。


体の各部分の隅々まで行き渡ったしぐさが、1人の体の中で複雑に組み合わさりながら、インドの精神・宗教思想が表現されます。



ちょっと画像が粗いですが、よかトピアの公式記録のなかに「インドの日」当日の写真がありました。

(西日本新聞社編『アジア太平洋博覧会―福岡’89公式記録』
〈アジア太平洋博覧会協会、1990年)より)



「インドの日」にこの「バラタナティアム」を披露したのは、先ほどのパンフレットにも記されているスチトラ・ミトラ舞踊団

スチトラ・ミトラさんはインドの著名な歌手・舞踊家です。


特別に「インドの日」には、このスチトラ・ミトラ舞踊団の「バラタナティアム」を野外ステージ「エスニック・パフォーマンス・プラザ」でも見ることができました(12:00・15:00の2回公演)。



「エスニック・パフォーマンス・プラザ」がある「エスニックワールド」の話はこちら。




「バラタナティアム」は、これより先の6月にも「エスニック・パフォーマンス・プラザ」で見ることができました。


そしてこちらは、インドのもう1つの古典的ソロダンス「カタック」(Kathak)も一緒に見られたお得版。

披露したのはインドの「コーシャリヤー舞踊団」と「ビルジュ・マハラージュ舞踊団」と記録が残っています。


「コーシャリヤー舞踊団」は調べても分からなかったのですが(お詳しい方、ぜひ教えてください…)、「ビルジュ・マハラージュ舞踊団」の方はビルジュ・マハラージュさんのお名前を冠しています。

ビルジュ・マハラージュさんは、カラーシュラム芸術学院を創設された「カタック」の第一人者です。


「カタック」は背筋を伸ばしてくるくる回ったりするのが特徴で、とてもリズミカルな踊り。

踊り手は足首にたくさんの「グングル」(鈴)をつけています。



この「バラタナティアム」と「カタック」のショーは、6月19日(月)~27日(火)の毎日12:30からおこなわれていました。




こうしたソロダンスに対して、大勢で演じるインドの仮面劇に「チョウ」(Chhau)があります。


この「チョウ」では、仮面ときらびやかな衣装をまとった演者が、音楽にあわせた躍動感のある動きで物語を演じていきます(セリフはなし)。



よかトピアで披露された「チョウ」は、インド東部の西ベンガル州プルリアのもの。


プルリアの場所はここです。

(GoogleMapより作成)


よかトピアでは、現地から招かれた14人がヒンドゥー教の神話「マヒーシャスラ」の話や、叙事詩『マハーバーラタ』のなかの物語をダイナミックな動きで演じました。



これも公式記録に写真がありました。

(西日本新聞社編『アジア太平洋博覧会―福岡’89公式記録』
〈アジア太平洋博覧会協会、1990年〉より)

とても華やかですね。

この衣装で大きく動き回るのですから、とても迫力があったはずです。



題材となった「マヒーシャスラ」は水牛に由来する魔王です。

どんな男性や神にも負けない力をもった最強の支配者なのですが、最後はライオンに乗った女神ドゥルガーによって破られました。



このドゥルガーを祀るインドの祭りが「ドゥルガー・プージャ」。

このブログの〈083〉で紹介した、インドの「山笠」こと、ムルティ(神像)をつくって祈るあの祭りです。


よかトピアでは現地からムルティ製作のコンクールチャンピオン、マニー・パールさんを招いて、このドゥルガーを含めた2体のムルティを福岡でつくってもらい、「リゾートシアター」の入り口に飾りました。


マニーさんにつくってもらったドゥルガーがこれでした。

(西日本新聞社編『アジア太平洋博覧会―福岡’89公式記録』
〈アジア太平洋博覧会協会、1990年〉より)


このドゥルガー像にも、ちゃんとライオンと男性(たぶんこれが「マヒーシャスラ」)が添えられています。



よかトピアのムルティ製作の話は、このブログのこちらの回が詳しいです。



そうすると、よかトピアでは同じインド古典を、1つは造形製作(ムルティ)で、1つは演劇(チョウ)で、しかもどちらも現地の人による本物を見られたのですねー(うらやましい)。



プルリアの「チョウ」で披露されたもう1つの題材『マハーバーラタ』は、古代インドの叙事詩。

18巻(10万頌)にも及ぶ壮大な物語で、話の中心は王族の大戦争です。


よかトピアではその1節が演じられました。



余談ですが、この『マハーバーラタ』、日本には関係ない外国の昔話かというとそうでもなくて、なかには中国を介して日本に伝わった話もあるのだとか。


たとえば、日本の平安時代末の説話集『今昔物語集』の巻5・第4話には「一角仙人、女人を負われ、山より王城に来たれること」という話が載っています。


こんな話です。

雨でぬかるんだ山道で転んだことに腹を立てた仙人(頭に1本の角があったそうです)が、特殊な力で雨を降らせる竜王を水瓶に閉じ込めてしまいます。雨が降らなくなって困った人びとは、色じかけで仙人の力を奪おうとします。女性に夢中になったことで仙人の力はとけ、竜王が逃げ出して無事に雨が降りはじめます。その後、すっかりその女性に心を奪われた仙人は、女性に言われるがままに彼女を背負って危険な山道を下りていくのですが、その姿は都で人びとの嘲笑の的になってしまいました。


直接の元ネタは『大智度論』(『摩訶般若波羅蜜経』という経典の注釈書の漢訳版)なのですが、これも元は『マハーバーラタ』に載っているものなのだそうです(知らなかった…)。


この話はのちに能の「一角仙人」、歌舞伎の「鳴神(なるかみ)」となって日本の演劇にも取り入れられていきます。

よかトピアの「チョウ」でこの話が演じられたわけではないのですが、こうして調べてみると、確かにアジア太平洋博覧会のテーマの通り、文化の「であい」を感じます。



ところで、「チョウ」は仮面を使うことが特徴なのですが、この仮面、古くは木製、近年では紙や粘土を使った張り子になっているのだそうです。


プルリアの「チョウ」は4月28日(金)から5月7日(日)の10日間、「エスニック・パフォーマンス・プラザ」で公演されたのですが、博覧会の閉会後、その仮面は早稲田大学演劇博物館に寄贈されたそうです。

まさか、よかトピア遺産が早稲田大学に及んでいたとは…。


さっそくめくってみた早稲田大学演劇博物館発行の『名品図録』には「インド舞踊プルリアの「チョウ」仮面」の写真が3つ載っているのですが(P216)、これがよかトピアのものかどうかは記載がなくて分かりませんでした(ウェブのデータベースでも見つけられなかったので、今度問いあわせてみたいと思います)。




そのほか、このブログの〈011〉ですでに紹介した「ラジャスタンの人形劇」もインドの演劇でした。


こちら。



よかトピアのテーマ「であい」をよく表していて、会場内のほほえましい場面を写した1枚にこういうのがあります。


(西日本新聞社編『アジア太平洋博覧会―福岡’89公式記録』
〈アジア太平洋博覧会協会、1990年〉より)


最近気づいたのですが、実はこれも「ラジャスタンの人形劇」公演の際の1枚でした。


こちらの写真は「ラジャスタンの人形劇」の公演中の様子です。

(西日本新聞社編『アジア太平洋博覧会―福岡’89公式記録』
〈アジア太平洋博覧会協会、1990年〉より)

演者さんが同じ方々でした。



地面の色からすると、どちらも場所は福岡タワー前の「であいの広場」で、こどもとの握手をカメラがとらえたのは公演の前後いずれかだったようです。




ただ、「バラタナティアム」「カタック」「チョウ」「ラジャスタンの人形劇」、どれもエキゾチックな分、インドの歴史や宗教を反映していて、そうした予備知識がないとちょっと難しく感じるかもしれないのですが、もっと一目で楽しめるショーもありました。


それがインド魔術団



その演目は、空中に少年が浮かんだり、箱に入った女性が魔術団の団長と一瞬にして入れ替わったり、カミソリを飲んだり(!)


(西日本新聞社編『アジア太平洋博覧会―福岡’89公式記録』
〈アジア太平洋博覧会協会、1990年〉より)


これ魔術じゃなくて、手品じゃない??と思われた方、その通り。



思いっきり、マジックショーなのですよね。


でもこれが、いかにもなインドの衣装をまとって、さらには先ほどの「コーシャリヤー舞踊団」と「ビルジュ・マハラージュ舞踊団」ともコラボしたそうですから、「バラタナティアム」「カタック」と一緒に披露されると、インドの神秘的な世界に包まれて、摩訶不思議な「魔術」として演出されていくのが不思議なところ。



この「魔術」を演じたのは、インドのコルカタで活躍していたアナンタ・ボース魔術団


会期中の6月下旬に、大がかりなものは「リゾートシアター」で1日1回、手先のマジック(失礼しました、「魔術」です)は野外の「であいの広場」で1日2回、それぞれ演目を変えて公演しました。


公演日程はこういうスケジュール。

1日3公演も多く、なかなかハードスケジュールです。


このショーは、途中、観客のこどもたちがステージで魔術を体験する時間もあって、とても盛り上がりました。




インドは「アジア館」のなかに展示ブースも出展していました。


「アジア館」は福岡タワーの足もと、今でいうと西鉄バスの百道浜バスターミナルのあたりにあった合同パビリオンです。



概観はこんな感じ。

(西日本新聞社編『アジア太平洋博覧会―福岡’89公式記録』
〈アジア太平洋博覧会協会、1990年〉より)


なかはこういう配置になっていて、インドのブースは北側の大きな部屋でした。


(西日本新聞社編『アジア太平洋博覧会―福岡’89公式記録』
〈アジア太平洋博覧会協会、1990年〉より)


インドブースの入り口はこちら。

(西日本新聞社編『アジア太平洋博覧会―福岡’89公式記録』
〈アジア太平洋博覧会協会、1990年〉より)


入り口には本物の子ゾウくらいのゾウの置物があって、撮影スポットになっていました。

(西日本新聞社編『アジア太平洋博覧会―福岡’89公式記録』
〈アジア太平洋博覧会協会、1990年〉より)


入場すると、ガネーネシャ(姿は人間の体とゾウの頭)とクリシュナ(救世の英雄)の2つの神像が出迎え、ブース内は赤色を基調にカラフルに装飾されていて、インドの楽器や神様たちの像の展示インドを紹介する写真と映像があり、ターバンやサリーで着飾ったスタッフが案内してくれました。



お土産の販売も充実。


真鍮の花瓶・食器、銀の宝石ケース、香木で彫られたゾウやウマの像、紅茶、それに当時の値段が分かるものだと、ラクダの骨で作ったネックレス(1500円)、インドシルクのスカーフ(500~1000円)、インド綿のベッドカバー(2000円~)、ヤギの皮のバッグ(3点セットで1100円)、ビーズのバッグ(1500円)、「ナーナック」のカレー粉(1瓶600円)などなど。



最後の「ナーナック」は、福岡市の親不孝通りの南側の入り口にあるインド料理店です。


福岡で知らない人はいないほどの老舗人気店。


よかトピア会場の食堂街「グルメワールド」にも出展していて、当時珍しかった本場のカレーを提供していました。



「グルメワールド」と「ナーナック」の話はこちらのブログが詳しいです。



インドブースのお土産店は、この「ナーナック」のご主人、グルビール・シンさんが出展されたものでした。



実はこうしたインドのよかトピア出展のほか、先ほどもふれたムルティ製作の第一人者マニー・パールさんの招へいに尽力されたのも「ナーナック」のご主人。


当時の新聞をよく見返すと、マニー・パールさんが桑原敬一福岡市長を表敬訪問されたときには、グルビール・シンさんも一緒に写真に写っておられます。


また、よかトピア会場のアジア太平洋ゾーンの展示を担当された貞刈厚仁さんのご著書でも、特にお名前を記してお礼が述べられているほどです。




よかトピアでは、こうしたインドのショー・装飾・食・お土産が会場のエキゾチックな雰囲気を大いに盛り上げたのですが、当時は福岡市がこの博覧会をきっかけにして国際化を進めようとしていた時期。

海外での福岡の知名度はまだまだのころです。



そうしたなかでグルビール・シンさんのような人脈はとても貴重だったはず。


今回インドの出展を調べていけばいくほど、博覧会のような大きなイベントであっても、1人1人のひととの繋がりこそが成功へと導いていくのだなぁと改めて思いました。





【参考文献】

・『アジア太平洋博覧会―福岡'89 公式記録』((株)西日本新聞社編集製作、(財)アジア太平洋博覧会協会発行、1990年)

・『アジア太平洋博ニュース 夢かわら版'89保存版』((株)西日本新聞社・秀巧社印刷(株)・(株)プランニング秀巧社企画編集、(財)アジア太平洋博覧会協会発行、1989年)

・草場隆『よかトピアから始まったFUKUOKA』(海鳥社、2010年)

・貞刈厚仁『Ambitious City―福岡市政での42年―』(松影出版、2020年)

・『演劇博物館80周年記念 名品図録』(早稲田大学坪内博士記念 演劇博物館、2008年)

・科学研究費助成事業 研究成果報告書「インド音楽・舞踊のグローバル化に関する総合的研究」(基盤研究(B)、研究期間:2011~2013年、課題番号:23401051、研究代表者:寺田吉孝)https://kaken.nii.ac.jp/ja/file/KAKENHI-PROJECT-23401051/23401051seika.pdf

・石井由美子「(海外留学レポート)印パ古典舞踊「カタック」に魅せられて─カラーシュラム芸術学院での4年間(インド、デリー)─」(独立行政法人日本学生支援機構ウェブマガジン『留学交流』2019年1月号 Vol.94)
https://www.jasso.go.jp/ryugaku/related/kouryu/2018/__icsFiles/afieldfile/2021/02/19/201901ishiiyumiko.pdf

・ウェブサイト
 ・日印文化交流ネットワーク「つながる!インディア」(https://tsunagaru-india.com/
 ・早稲田大学演劇博物館(https://enpaku.w.waseda.jp/
 ・インド料理レストラン ナーナック(http://nanak-foods.com/index.html

 


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Written by はらださとしillustration by ピー・アンド・エル 

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