埋め立て地にできたニュータウン「シーサイドももち」の、前史から現代までをマニアックに深掘りした『シーサイドももち―海水浴と博覧会が開いた福岡市の未来―』(発行:福岡市/販売:梓書院)。
この本は、博多・天神とは違う歴史をたどってきた「シーサイドももち」を見ることで福岡が見えてくるという、これまでにない一冊です。
本についてはコチラ。
この連載では【別冊 シーサイドももち】と題して、本には載らなかった蔵出し記事やこぼれ話などを紹介しています。ぜひ本とあわせてお楽しみいただければ、うれしいです。
〈099〉今年で元寇750年を迎える運びとなりました ―元寇防塁今昔②―
何かしらの出来事を振り返り顕彰する手段の一つとして、「周年事業」というものがあります。
「創業100周年!」や「生誕100年!」などの文言が頭にくっついているイベントなどを目にしたことがある方も多いのではないでしょうか。
ちなみに今年2024年の主な周年(30年以上)を見てみると…
【200年以上】
・金印発見から240年/1784年2月23日
・交響曲第9番世界初演200年/1824年5月7日(オーストリア ウィーン)
【150年】
・佐賀の乱150年/1874年2~3月
【140年】
・山本五十六生誕140年/1884年4月4日
・三ツ矢サイダー発売140年/1884年(当時の名称は「平野水」)
【120年】
・日露戦争勃発120年/1904年2月10日
・サルバドール・ダリ生誕120年/1904年5月11日
【110年】
・桜島大正大噴火から110年/1914年1月12日
・第一次世界大戦勃発110年/1914年7月28日
・東京駅開業110年/1914年12月20日
【100年】
・第1回冬季オリンピック開幕100年/1924年1月25日(開幕日/フランス シャモニー・モンブラン)
・安部公房生誕100年/1924年3月7日
・メートル法施行100年/1924年7月1日(「改正度量衡法」公布は1921年)
・黒田清輝没後100年/1924年7月15日
・阪神甲子園球場開場100年/1924年8月1日
・九州帝国大学法文学部設置100年/1924年9月25日
・山崎豊子生誕100年/1924年11月3日
【70年】
・マリリン・モンロー来日70年/1954年2月1日(福岡訪問は2月8日~10日)
・第五福竜丸事件から70年/1954年3月1日
【60年】
・東京モノレール開通60年/1964年9月17日
・東海道新幹線開業60年/1964年10月1日
・日本武道館開館60年/1964年10月3日
・東京オリンピック開催60年/1964年10月10日(開幕日)
【50年】
・ルマンド発売50年/1974年2月
・残留日本兵小野田少尉帰還から50年/1974年3月12日
・THE ALFEE デビュー50周年/1974年8月25日
・長嶋茂雄引退から50年/1974年10月14日
・ハローキティ誕生50周年/1974年11月1日
【40年】
・初代Macintosh発表40年/1984年1月24日
・グリコ・森永事件から40年/1984年3月18日(発生日)
【30年】
・カート・コバーン没後30年/1994年4月5日
・アイルトン・セナ没後30年/1994年5月1日
・関西国際空港開港30年/1994年9月4日
などなど(めちゃくちゃ偏っててスミマセン…)。
もう数日で2024年も終わりなわけですが、改めて今年はこんな周年があったんですね~。
このように、当然の事ながら毎年何かしらの周年になるわけですが、上記に加えて今年は何と言っても文永の役(元寇)から750年という年でしたね(強引に時代が古くなって恐縮です…)。
文永の役とは、日本が元軍(モンゴル帝国)の襲来を受けたいわゆる「元寇(蒙古襲来)」の1回目を指します(1274年11月〈文永11年10月〉)。
これを受けて幕府が博多湾の海岸線に築いたのが「石築地(いしついじ)」で、現在では「元寇防塁」の名で知られています(「元寇防塁」という名前は明治後期から昭和前期にかけての病理学者で考古学者でもあった中山平次郎が名付けたもの)。
以前も少しご紹介しましたが、今年は元寇750年に合わせた記念行事が各地で行われました。
西新での元寇750年記念事業① 元寇記念祭
大正9(1920)年に見つかった西新地区の元寇防塁史跡(国指定史跡)がある場所の一角に鎮座している「元寇神社」では毎年「元寇祭」が行われているのですが、今年は元寇750年として、例祭日の10月20日にあわせ大規模な催しが行われました。
ここは元寇防塁史跡。
中央にある松の木の向こう側に元寇神社があります。
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祭典は朝10時から元寇神社前(そして元寇防塁跡の横…)で執り行われました。
こちらが開始前の様子。
なんとカラフルな来賓席! |
この、どことなく漂う異国感…。
そう、今年は元寇750年を記念して、なんと在福岡モンゴル国名誉領事館をはじめとしたモンゴルの皆さんが来賓として参列されての開催だったのです。
式を執り行うのは元寇神社を管理する紅葉八幡宮の神職の皆さんですが、モンゴルからもガンダン寺、ハムレヒ寺、ダハン寺という3つのお寺から僧侶(いずれも高僧の方々だそうです)が来日し、式典に参列されました。
こちらもまた青空と松の緑に映える鮮やかな法衣です。 |
元寇神社の由緒には「元寇の役功労者及び戦没者、受難者の御霊を祀ると共に、遠く異境の地に戦死した元軍兵士の御霊をも恩讐をこえて合祀」とあり、受難者を祀っている神社だからこその祭式ということを再認識しました。
紅葉八幡宮宮司による祝詞奏上。 |
モンゴルの僧侶による玉串奉奠(情報量)。 |
そして式の後には、モンゴルの皆さんが元寇防塁を熱心に見学されていたのがとても印象的でした。
在福岡モンゴル国名誉領事が史跡の説明されています。 |
皆さん熱心に聞き入っておられます。 |
モンゴル側の来賓として参列されていたお一人、蘇慶さん(福岡在住)にお話を伺ったところ、「国や信仰を超えた形での慰霊が行える事は世界でも珍しいのでは」として、「モンゴルの人は元寇の事をよく知っているけれど、この様に実際に両国の犠牲者を祀った神社があったり史跡が遺っている事で、現場を訪れて思いを馳せることができる場所がある事が大変嬉しい」と話してくださいました。
また、今回は通常の祭典に加えて元寇神社横に建てられた慰霊碑の除幕も同時に行われたのですが、モンゴル語が彫られた碑というのも、なかなか珍しいのではないでしょうか。
元寇神社の横に建てられた「元寇七百五十年慰霊之碑」。 |
多分「元寇七百五十年慰霊之碑」と書かれている…? |
と、午前の部はここまで。
午後からは会場を紅葉八幡宮に移しての慰霊祭と神社境内での文化交流会が「平和への祈り」と題して行われました。
紅葉八幡宮の社殿横駐車場に設けられた会場。
かなり大がかりです(そして最終的にはほぼ満席になりました)。
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モンゴルのダンザンラヴジャ博物館の所蔵品のパネル展示も。 |
慰霊祭は本殿で行われたのですが、紅葉八幡宮神職による祝詞奏上に続いて、なんと南蔵院(糟屋郡篠栗町)と雷山千如寺大悲王院(糸島市)の両寺院による真言宗の読経が始まったではないですか…!
ご神体に向かって読経される僧侶の皆さんの姿は初めて見ました。 |
さらには元寇神社での式にも参列されたモンゴルの3寺院の皆さんによる読経が続きます…。
こちらはモンゴルの僧侶による読経。 このあとお香をもって回り、参列者の皆さんを清める儀式も。 |
まさか神社の祭礼で真言宗やモンゴルの読経を聞くことができるとは思いもせず、驚きの光景でした(紅葉八幡宮でも初の出来事だったそうです)。
祭典が終わると文化交流会がスタート。
日本側からは筑紫舞、柳生新影流兵法、和太鼓が、そしてモンゴル側から馬頭琴や長唄が披露され、会場を訪れた皆さんも大盛り上がりとなりました。
挨拶は紅葉八幡宮の平山宮司から(中央)。
左が南蔵院の林住職、右は雷山千如寺大悲王院の喜多村住職。
この並びもなかなかレアでは…?
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挨拶されたガンダン寺のドラムラグチャー・ジャブザンドルジ大住職(中央)。 |
筑紫舞の披露。 |
柳生新影流兵法の披露。 |
紅葉八幡宮を拠点に活動する和太鼓グループ「紅太鼓」さんのパフォーマンス。 |
馬頭琴演奏(立命館大学に在学されているそうです)。 |
馬頭琴と歌の披露。
2曲目には馬頭琴の演奏による「川の流れのように」でした。
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馬頭琴の演奏。右の方の馬頭琴は大きくて低い音が出ます。 |
国や宗派の違いを超えて「平和への祈り」という趣旨に賛同された皆さんによる貴重な機会となり、また新しい対外交流の形を見た思いでした。
西新の元寇750年記念事業② 蒙古襲来絵詞展
こちらはまたちょっと違った、地元発信の記念事業です。
西新校区自治協議会と高取校区自治協議会が主催の「蒙古襲来絵詞展~750年前西新は主戦場だった~」が11月に開催されました。
場所は敷地内に元寇防塁史跡を遺す西南学院の西南コミュニティーセンター多目的室です。
この催しは、元寇の様子を描いた「蒙古襲来絵詞」の複製展示(福岡市総合図書館所蔵)を中心に、文永の役の紹介と西新・百道・高取校区にある元寇史跡や元寇ゆかりの地を写真で紹介したイベントです。
「蒙古襲来絵詞」の複製を特別に展示。解説もされています。 |
また、会場には蒙古襲来をテーマに描かれたマンガ「アンゴルモア 元寇合戦記 博多編」(たかぎ七彦、KADOKAWA)のデジタル原画展示もあり、賑やかで内容満載な内容となっていました。
各地の元寇関連遺跡の写真と解説。勉強になる! |
KADOKAWAさん協力により実現したマンガ「アンゴルモア」のデジタル原画展示。 |
元寇関連書籍の紹介コーナーではわれらが『シーサイドももち』の姿も…!
(どうもありがとうございました)
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また、会場の一角には動画「750年の時を超えて~元寇史跡をめぐる~」の上映コーナーもありました。
動画コーナーにはお客さんが入れ替わり立ち替わり動画を鑑賞されていました。
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これは早良区地域支援課の協力で制作された動画で、西新公民館をスタートして元寇にまつわる西新・高取周辺の元寇史跡をめぐるという内容。
この動画がまたよくできていて、全部で約13分ほどなのですが一緒に史跡めぐりをしているような構成なので、これを見て実際にその通りのルートを歩いてみるのも楽しいかもしれませんよ。
会場の最後には蒙古軍・日本軍のダブルピースに囲まれて記念写真が撮れるというパネルも設置!
こんな笑顔で和やかな蒙古軍・日本軍のインスタ枠は初めて見ました。
(そもそも蒙古軍・日本軍のインスタ枠なんてない)
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そして最後にアンケートに回答した来場者には特典として図録のプレゼントが。
わたしもアンケートに答えて1部いただいたのですが、展示がギュッと詰まっていて、こちらも大変勉強になる一冊でした。
図録は西新公民館および高取公民館に見本があるそうです。 |
そもそもなんで750年?
なんとなく周年といえば100年や200年といった、数字のキリがいい方が馴染みやすいような気がしますが、なんで元寇の記念事業は「750年」なのでしょう?
それは恐らく、「前回の大規模な記念事業が650年だったから」ではないかと考えられます。
文字だけ見ると「何のこっちゃ??」という感じですが、前回「文永の役650年」だった大正13(1924)年は、西新で元寇防塁が発見されて間もなくのこと(発見は大正9〈1920〉年)。
それこそ最初の「元寇ブーム」の時代です。
この時は「元寇文永殉難者六百五十年祭記念事業」として大正12(1923)年冬~13(1924)年冬までの1年間、全国各地で元寇記念関連事業が行われたようです。
この記念事業、本来はどうやら大正12(1923)年の春から事業が計画されていたようなのですが実際には壱岐の新城神社の祭典のみが実施され、それ以外は大正13(1924)年に行われています。
これはこの年の9月1日に起こった関東大震災の影響もあったようです。
東京での記念事業は大正13(1924)年の「元寇文永殉難者六百五十年祭」で、これは12月7日に靖国神社能楽堂で行われました。
この時は福岡から県教育長の武谷水城が祝辞をおくっています。
また、「弘安の役650年」だった昭和6(1931)年は、まさに満州事変の年。時節柄、「神風」の伝承は国威高揚にも利用されていました。
何よりもこの年は元寇防塁史跡が国史跡に指定された年でもあり、最初の元寇ブームの熱がさめやらぬ中でさらに元寇への注目度が高まっていた時代です。元寇の周年事業を行うにはまさにうってつけのタイミングだったといえます。
ちなみに福岡での元寇650年事業は、文永の役650年に合わせたもの。大正12(1923)年の記念祭の際に行われています。
この時はやはり百道の元寇防塁史跡前で祭礼が行われました。
式を執り行ったのは住吉神社の宮司(副斎主に鳥飼八幡宮宮司)、記念祭会長には福岡市の石橋助役が就き、在郷軍人会や師団の関係者のほか、修猷館や福岡師範、西南学院などの各中等学校生徒や、市内の各小学校児童が多数参列。
当時の様子を報じた新聞記事によれば、同時開催として「運動のプログラム」や参列者みんなで「元寇」の歌の合唱(明治時代に作られた軍歌「元寇」でしょうか…?)などもあり、大盛況の催しだったようです。
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元寇750年となる2024年の締めくくりは、元寇にまつわる記念行事についてご紹介しました。
今回は周年行事としての元寇記念祭をご紹介しましたが、福岡での元寇記念祭は周年だけの単発の事業ではなく、大正時代から恒例行事としてずっと行われています。
さらにさかのぼると、こうした元寇の記念祭は初めて元寇防塁が発見された今津から始まっているのですが、ここにはまたさまざまな事件(?)があって…。
その辺りのお話は、いずれまた「元寇防塁今昔③」としてご紹介したいと思います。
【参考資料】
[Written by かみね/illustration by ピー・アンド・エル]