2025年3月21日金曜日

Mingu: Folk Implements - Designs in Everyday Life, Design for Life -

PeriodTuesday, January 5th  Sunday, April 13th, 2025
Venue: Feature Exhibition Room 1 - 4
Opening Hours: 9:30am - 5:30pm (last admission: 5:00pm)
Closed: Mondays
Charge:
 ・Adults: 200yen
 ・High school and University students: 150yen
 (No charge for Junior High School Students and younger)



The term “mingu” was coined by Shibusawa Keizo(1896-1963), a well-educated economist, and is a collective term for folk implements and artifacts made or used by the general public for their everyday needs. In other words, it refers to the tools that we have always used in our daily lives.

Folk tools have been devised and improved, with simple shapes and designs in order to make people's lives more comfortable. People have also made everyday items from various natural, locally-sourced materials since ancient times.

However, since the Japanese economic miracle (1955 - 1973), new materials have been developed at a rapid rate, and technology has evolved, replacing traditional folk tools with industrially-made mass-produced goods. Our lifestyles and mindsets have shifted significantly along with these changes.

Now is the time to rethink our way of life by learning from these folk implements. They are filled with the experiential “wisdom of life” of their makers and users and can help us to understand the transition of our culture from ancient to modern times.

This exhibition is introducing a wide variety of materials and uses of folk tools, mainly daily essentials, selected from the museum's collection. In addition, the exhibition is held in collaboration with the Hakata Traditional Craft and Design Museum. Both venues are exhibiting traditionally crafted objects that have been produced for a long time.

Please come and see the new styles and traditions of contemporary craftsmen and artists recommended by the museum.

Exhibits are presented in four categories:

1. Materials and regional characteristics of folk tools

This category displays folk tools by material, such as wood, bamboo, straw, and other plants, as well as introducing unique tools made by various local processes.

【Cylindrical bamboo fishing basket for crabbing】
By grasping the conditions of the river and setting this tool in a place where the crabs are likely to gather, the fishermen used this fishing tackle to catch river crabs. The entrance is designed so that the crabs cannot escape once they are inside.

 
【Rice basket】
This bamboo basket was used to store cooked rice mainly in summer. It is woven to provide better ventilation and to prevent the rice from spoiling. A handle and stand are attached to the basket so that it can be hung or placed under the eaves in a breathable space.



2. Folk tools suitable for daily life

This category introduces folk implements that were used in the living environment, such as cooking and storage tools, as well as those related to fire, which was an important energy source for all aspects of contemporary life.

【Hot-water bottle】
This ceramic hot water bottle was used in Japan approximately 100 years ago.
It was filled with boiling water wrapped in cloth, and placed in a futon to warm the feet and body.



【Bread baking machine】
This bread baking machine was used on top of a small charcoal grill. 
It has two aluminum plates inside, one on the top and one on the bottom.


3. Aesthetic design

This category showcases the designs of the period by displaying clothing and textiles used in a variety of situations, from everyday casual to formal and special occasions.


【Hagitōjin work kimono】
A unique work wear from Tsutsu in Tsushima City, Nagasaki Prefecture, made of more than 40 pieces of scrap cloth, similar to a quilt, with narrow sleeves. It was worn from fall to spring for work in the mountains and sea.


4. Local arts and crafts

This category begins with Noma Yoshio's collections from various regions of Kyushu and continues with the introduction of traditional crafts representing Fukuoka City, such as textiles, dolls, magemono (wooden containers), papier-mâché, spinning tops, okiage, and multi-layer glass. Additionally, there are works by artisans recommended by the Hakata Traditional Craft and Design Museum.

【Helmet made of multi-layer glass】
This beautiful helmet is seen at the Boys' Festival, and is made of multi-layered colored glass, with different qualities. It celebrates a boy's birth and the family's wish for the boy to grow strong.


【Married couples' spinning tops
This is a pair of decorative spinning tops from Hakata to pray for matrimonial happiness and good health. They originated as part of an acrobatic performance with spinning tops on the tip of a sword or fan.


2025年3月14日金曜日

【別冊シーサイドももち】〈102〉福岡刑務所があった時代を思いながら跡地を歩くー尹東柱と福岡刑務所ー

     

埋め立て地にできたニュータウン「シーサイドももち」の、前史から現代までをマニアックに深掘りした『シーサイドももち―海水浴と博覧会が開いた福岡市の未来―』(発行:福岡市/販売:梓書院)。


この本は、博多・天神とは違う歴史をたどってきた「シーサイドももち」を見ることで福岡が見えてくるという、これまでにない一冊です。


本についてはコチラ


この連載では【別冊 シーサイドももち】と題して、本には載らなかった蔵出し記事やこぼれ話などを紹介しています。ぜひ本とあわせてお楽しみいただければ、うれしいです。








〈102〉福岡刑務所があった時代を思いながら跡地を歩くー尹東柱と福岡刑務所ー


この連載も100回を超えて地道に続けていますと、目に留めてくださる方もじわじわと増えてきたように思います。

記事をきっかけにさまざまなお尋ねやお声かけ、また情報などをいただくことも増えました。どうもありがとうございます。

シーサイドももち地区を中心に、百道&地行地区・西新地区(の、主に海側)の細かい歴史を調べること100回。積み重ねてみてこうしたリアクションをいただくと、「やってみるもんだなあ」と感慨深く思う昨今です。




先日も、本連載の記事を読まれた新聞社の記者さんから、戦時中の福岡刑務所に関するお尋ねがありました。

福岡刑務所(かつては福岡監獄と呼ばれていました)は昭和40(1965)年に現在地である糟屋郡に移転するまで百道の地にあったことは、以前こちらのブログでご紹介しました。




これらの各記事では、主に監獄ができるまで~完成した頃、明治~大正時代当時の様子についてを紹介しましたが、今回は昭和20年代についてのお問い合わせです。



話を聞いてみると、昭和18(1943)年に韓国の詩人・尹東柱(ユン・ドンジュ)が福岡刑務所に収監され、昭和20(1945)年2月に獄死。今年は没後80年ということで調べているとのことでした。


尹東柱といえば、韓国では知らない人はいないほどの有名な詩人です。

韓国の学校では必ず習うという尹東柱ですが、どれくらいメジャーかというと、とくに縁もゆかりもない(と思われる)普通のマンションの館銘板碑(マンション名が書かれた碑)の裏に飾りとして尹東柱の詩が彫られていることもあるくらいの存在なのだとか(これは後から聞いた話です)。



そんな方が百道に縁があったとは。

建物(施設)としての福岡監獄(刑務所)の造りや来歴などに気を取られるあまり、そこに関わった人物についてはほとんど意識が及んでおらず…。

※ 文章中、「福岡刑務所」と「福岡監獄」の表記が混在しているのはわたしの意識が「監獄」時代にあることの弊害です。すみません…。




とはいえ、福岡刑務所についてはさまざまな事件や収監された人物からの視点として、文学作品やルポルタージュなどにも多く登場します。


有名なものとしてまず思い浮かぶのは、昭和38・39(1963・1964)年に起きた連続殺人事件・西口彰事件をモデルに書かれた佐木隆三の「復讐するは我にあり」です。昭和54(1979)年に今村昌平監督によって映画化されたことでも超有名作品ですよね。

西口彰事件では福岡拘置所で絞首刑となった西口彰は、事件の前にも詐欺事件で福岡刑務所に収監された過去があるという人物でした。

西口彰事件があったのは、ちょうど百道に刑務所があった最末期に当たります。


また、大貫進名義で発表した藤井礼子による「死の配達夫」(『藤井礼子探偵小説選』〈論創ミステリ叢書 90〉所収、論創社、2015年)では、百道の福岡刑務所の近くにある昭代団地(昭代住宅)が舞台となっており、福岡刑務所に関する記述も多く登場します。これは作家自身が昭代住宅に住んでいたためと言われてます。




さて話を戻しますが、ここ百道の地はそんな尹東柱最期の地ということで、「福岡・尹東柱の詩を読む会」の方々によって毎年百道での追悼式が行われているそうなのです。

せっかく百道でそのような催しが行われていて、しかも今年は没後80年。このタイミングで尹東柱と百道の繫がりを知ったのも何かの縁かも…。


ということで、2月24日(月・祝)に行われた「尹東柱詩人追悼80周年記念式」の様子を取材してきました。


場所は百道西公園。現在福岡拘置所のすぐ北側にある公園です。

ここは、かつて福岡刑務所があった敷地のすぐ西側に面した場所でもあります。


(地理院地図Vectorより作成)
公園は本当に拘置所のすぐ隣にあるんですね。




さすが没後80年ということもあってテレビや新聞社などたくさんの取材陣も集まっており、また駐福岡韓国総領事館からも総領事・領事が参加されていました。



ぞくぞくと参列者が集まってきます。


多数のテレビカメラ、そして記者の皆さん…。



黙祷から始まった式典では尹東柱の詩の朗読や、尹東柱が愛唱したというアメリカの歌謡「なつかしきヴァージニア」の合唱などが行われ、故人を偲びました。


詩の朗読や合唱などで詩人・尹東柱を偲びます。


「読む会」の馬男木代表もおっしゃっていましたが、こうして皆さんが尹東柱の詩に心ひかれるなかで、ゆかりある百道の地で追悼式を行っていること自体が、また大事な百道の歴史の一つとなっていくのだなあと感じたことでした。

皆さんで記念撮影と取材する皆さん。



そして午後からは80周年特別企画として、九州大学西新プラザに会場を移して「尹東柱を読み継ぐ2025 尹東柱没後80年」と題した記念講演会が開催されました(主催:福岡・尹東柱の詩を読む会/駐福岡大韓民国総領事館、後援:九州大学韓国研究センター)。


ここでは作家の姜信子さんによる講演「尹東柱 ディアスポラの抒情」があり、つづいて九州大学韓国研究センターの辻野裕紀先生を中心としたパネルディスカッション「私の好きな詩、それぞれの尹東柱」では、九州大学と西南学院大学の学生さんたち、そして姜信子さんも登壇され、尹東柱作品について活発な議論がなされていました。


訳詩の解釈などについての話も興味深い発表でした。






…さて、この催しからさかのぼること約1週間

尹東柱の命日である2月16日にあわせて、今年は韓国から尹東柱のご遺族が来日されていました。

尹東柱は同志社大学在学中に特高警察によって「治安維持法違反容疑」で逮捕されています。今回、同志社大学では尹東柱に対して名誉文化博士の学位を贈呈することが決まり、ご遺族の来日はその授与式への参列も目的の一つでした。



その後、ご遺族らは今年の命日にあわせて書肆侃官房から出版された氏の対訳詩集『空と風と星と詩 尹東柱日韓対訳選詩集』(訳・伊吹郷)の出版にあわせ、福岡市にもお見えになりました。

ご遺族の代表は、尹東柱の甥であり、ソウルにある成均館大学の名誉教授である尹仁石(ユン・インソク)さんです。



その折り、「かつて福岡刑務所があった場所を訪れたい」とのご希望があり、その巡見にわたしも同行させていただきました。


中心の男性が甥の尹仁石先生。
(わたしが邪魔でスミマセン…)


ほかにもその娘さんや韓国の学生さんなども一緒に来福されていたのですが、今回はさらに複数社のマスコミの皆さんも取材に集まっており、かなりの大所帯で福岡市地下鉄の藤崎駅から当時の海岸線であるよかトピア通り付近まで、約1.2kmほどの道のりを往復しました。


ご遺族より取材陣の方が多い…!




「尹東柱の詩を読む会」の代表である馬男木さん先導で、福岡刑務所の周囲をまわるようなルートを歩きます。


(地理院地図Vectorで作成)
藤崎駅がある「藤崎」交差点を出発し、刑務所跡地に沿って歩きます。
現在、早良区役所や文化センターがある一画は全部跡地です。
(福岡拘置所との境のまっすぐな道が刑務所の塀でした)



また、この日はちょうど2月の寒波が訪れた日で、気温も6~7度ほど。そして海に向かって川沿いを歩いたため風も強く日陰では震える寒さでしたが、皆さん「当時もこんなに寒かったのだろうか」と往時に思いを馳せておられました。


現在の九州郵政研修センターも跡地の一つです。

最初に紹介した追悼式の会場でもある
百道西公園にも立ち寄りました。
(後ろに見える白い建物は福岡拘置所)




また仁石さんは建築がご専門ということで、韓国の監獄建築についてもいろいろとご教示くださり、福岡監獄を調べる上でも大変勉強になった1日となりました(一人だけこの日の目的がずれていた気もしないでもないのですが…)。



本連載からのご縁で今回のご遺族とのゆかりの地巡見というところまでつながった今回ですが、よくよく考えてみると、こんなにきちんと福岡刑務所跡地を歩いてみたのは初めてのことかもしれないと気付きました。

それはわたしがあまりにも建築当時のことに意識がいきすぎていたせいでもあるのですが、もう一度原点にかえってちゃんとその場所を見て歩いてみることの大切さを改めて知った、貴重な機会となりました。






【参考資料】

・『福岡犯罪50年史 戦後編』(夕刊フクニチ新聞社「昭和50年史刊行会」、1976年)
・『福岡市文学館企画展 福岡ミステリー案内ー赤煉瓦館事件簿』(福岡市総合図書館文学・文書課、2006年)
・二沓ようこ「獄中で鳥を飼うということー文学の磁場としての福岡刑務所」(『敍説Ⅲー20』花書院、2022年)
・ウェブサイト
・同志社大学/お知らせ 詩人・尹東柱(1917〜1945)に対して同志社大学名誉文化博士の学位を贈呈(2025年1月20日更新)/https://www.doshisha.ac.jp/news/detail/001-Me02nh.html
・図書出版論創社ウェブサイト(藤井礼子探偵小説選)/https://ronso.co.jp/book/%E8%97%A4%E4%BA%95%E7%A4%BC%E5%AD%90%E6%8E%A2%E5%81%B5%E5%B0%8F%E8%AA%AC%E9%81%B8/

※ 写真はすべて福岡市史編さん室撮影。



シーサイドももち #福岡監獄 #尹東柱 #復讐するは我にあり #跡地を歩こう


Written by かみねillustration by ピー・アンド・エル 

※誤字を修正しました(2025.3.15)

2025年3月7日金曜日

【別冊シーサイドももち】〈101〉よかトピア遺産に会いにいく ―人気のご当地スーパーA-Zに謎の大蛇が生き続けていた編(その1)―

     

埋め立て地にできたニュータウン「シーサイドももち」の、前史から現代までをマニアックに深掘りした『シーサイドももち―海水浴と博覧会が開いた福岡市の未来―』(発行:福岡市/販売:梓書院)。


この本は、博多・天神とは違う歴史をたどってきた「シーサイドももち」を見ることで福岡が見えてくるという、これまでにない一冊です。


本についてはコチラ


この連載では【別冊 シーサイドももち】と題して、本には載らなかった蔵出し記事やこぼれ話などを紹介しています。ぜひ本とあわせてお楽しみいただければ、うれしいです。








〈101〉よかトピア遺産に会いにいく─人気のご当地スーパーA-Zに謎の大蛇が生き続けていた編(その1)─


このブログ「別冊シーサイドももち」は、前回で100回を迎えました。


ただ、その後はぱったりと更新が止まりまして…。


切りの良い回数を迎えたのでこれで終わっちゃうの?というお問い合わせもあったりなかったりでしたが、ご安心ください、何事もなかったかのように続いて参ります。


この間も取材班は、ももちネタを求めて文字通り東奔西走・南船北馬しておりました(ただの右往左往かも…)。




とにかく今日はそのなかから1ネタを。





100回記念はシーサイドももちの歩道に敷かれたレンガから、「アジア太平洋博覧会」(よかトピア)のシンボールマークを全部探し出すという企画でした。




「アジア太平洋博覧会」(よかトピア)は、埋め立て地である「シーサイドももち」ができてすぐ、まだまちづくりが本格化する前に、福岡の市制100周年を記念して開かれた国際的な博覧会です。

会期は1989年3月17日~9月3日でした。


博覧会終了後もそのまま使う歩道に、よかトピアのシンボルマークを刻んだものがいくつかあることは知っていたのですが、だれもその数を数えたことはなくて、調査結果を聞いたときには私もびっくりしました。

同時に、よかトピアの遺産が36年経っても、なおまちのなかに溶け込みながら残されていることにうれしさも感じました。




ところで、ちょうどこの歩道レンガの取材班が調査計画を立てていたころなのですが、福岡市史編さん室にはよかトピアについての問いあわせがありました。


『南日本新聞』の記者さんからで、鹿児島県阿久根市のスーパー「A-Zあくね」の駐車場に、よかトピアで飾られていたモニュメントがあるというのです。

(そんな話、聞いたことない…)


スーパーの経営者さんはもう世代交代していて、詳しいことが分からないと仰っているそう。


ただ、モニュメントのそばにある記念碑には「七頭竜神」、案内板にはタイでつくられてよかトピアでアジアのシンボルとして飾られていたと書いてある、あとから写真を送るので何か分かることがあったら教えてほしい、ちなみに金色に輝いている、夜になるとライトアップされるという内容でした。



まだ写真を見る前でしたが、実は金色に輝く「七頭竜神」と聞いて、思い当たるものがありました。


よかトピアが終わって刊行された公式記録(これなしではこのブログが100回も続くことはなかったという、よかトピアを知るためのマストアイテム)の口絵で、これまで何度も見た写真がすぐに頭に浮かんだからでした。



その口絵というのがこれです。

(西日本新聞社編『アジア太平洋博覧会―福岡’89公式記録』
〈アジア太平洋博覧会協会、1990年〉より)


口絵に載っているのはタイの「パヤナーク」 。

キャプションには、「(タイの)チェンマイの仏教寺院、ワットプラタートの参道の竜の像」を再現したものと書いてあります。


金色に輝いていて、頭は7つ(奥の1つは大部分が隠れていますが、細く高く伸びた頭の先がわずかに見えています)、どれも竜のような顔つき。

いかにも「七頭竜神」と呼ばれそうです。



そしてこちらが南日本新聞社からすぐに送られてきた写真。

(南日本新聞社撮影)

(南日本新聞社撮影)


やっぱり、「A-Zあくね」の「七頭竜神」はよかトピアの「パヤナーク」で間違いないです。

まさか鹿児島に現存していたとは…。




さっそく南日本新聞社さんには、このモニュメントの名前とよかトピア当時にこれが置かれていた場所や参考図書も紹介しました。


参考図書となるのは、当時福岡市役所の職員として会場のメーンエリア「アジア太平洋ゾーン」の屋外展示を担当された、貞刈厚仁さんのご著書『Ambitious City―福岡市政での42年―』。

このブログでもたびたび参考にさせてもらっている本です。


貞刈さんはアジア太平洋の各地域をまわられ、博覧会のテーマにふさわしい展示物を直接ご自身で選んで来られた方です。

ご著書の口絵には、この「七頭竜神」も載っています。



こうして、「A-Zあくね」の「七頭竜神」がよかトピアの「パヤナーク」であることは、2025年元旦に『南日本新聞』の記事になりました

記事は今年の干支、ヘビにちなんだお正月特集の1つで、貞刈さんへの追加取材も含めたものになっています。


記事を読んで、お正月からこの「七頭竜神」を見に行かれる方もいらっしゃったそうです。



よかトピアが開かれた1989年はヘビ年

干支が3周しての再ブレイクとなりました。



この記事は今でもネットで読むことができますので、ぜひご覧ください。

『南日本新聞』のサイトだと、デジタルとそのテキスト版が公開されています。

※ テキスト版はコチラをクリックすると見られます。



ヤフーニュースでもまだ見られるようです。






この「パヤナーク」、よかトピア当時は「アジア太平洋ゾーン」で野外展示されていました。


場所は福岡タワーのすぐ下、「三和みどり・エスニックワールド」の北側です。

「三和みどり・エスニックワールド」への入り口を挟むように2頭の「パヤナーク」が向き合っていて、観客は両側から「パヤナーク」にじろりと見られながら出入りしていました。



平面図で見ると、ここに置いてありました。

(西日本新聞社編『アジア太平洋博覧会―福岡’89』
〈アジア太平洋博覧会協会、1990年〉より)

⑧番の位置です。




写真で見ると、このあたり。

(西日本新聞社編『アジア太平洋博覧会―福岡’89』
〈アジア太平洋博覧会協会、1990年〉より)


ただ、この写真だと全然「パヤナーク」が見えないですね…。



写真を変えてみます。

(『アジア太平洋博覧会―福岡’89 福岡市出展パビリオン
福岡鴻臚館―アジアから、そしてアジアへ―記録と資料』
〈福岡市経済農業水産局博物館推進対策室企画・編集、
㈱博報堂編集・協力、福岡市発行、1990年〉より)


こっちの写真だとこのあたりです。

(『アジア太平洋博覧会―福岡’89 福岡市出展パビリオン
福岡鴻臚館―アジアから、そしてアジアへ―記録と資料』
〈福岡市経済農林水産局博覧会推進対策室企画・編集、
㈱博報堂編集・協力、福岡市発行、1990年〉より)


もっと寄ってみます。

(『アジア太平洋博覧会―福岡’89 福岡市出品パビリオン
福岡鴻臚館―アジアから、そしてアジアへ―記録と資料』
〈福岡市経済農林水産局博覧会推進対策室企画・編集、
㈱博報堂編集・協力、福岡市発行、1990年〉より)


いたー!


ぼんやりですが、金色の細長い体が向かい合っている姿が見えます。




でも、これって今だと、どのあたりになるのでしょう…??




これがシーサイドももちです。

(地理院地図Vectorで作成)


今、タワーのふもとは今こうなっています。

(地理院地図Vectorで作成)



先ほどの「パヤナーク」の位置を示した平面図の⑧番を参考にすると、今だとこのあたりになるでしょうか。

(地理院地図Vectorで作成)



TNCテレビ西日本の社屋の北端ですね。



空中写真で見ると、この位置。

(地理院地図Vectorで作成)

TNCと駐車場の間くらいでしょうか。



行ってみました。





ここです。

(福岡市史編さん室撮影)


今は大蛇ではなくて、自転車が並んでいました…。




ちなみにさきほどの平面図の⑧の説明にはこのように書いてあります。


⑧パヤナーク(2基) タイ

チェンマイ・ワットプラタートの参道の竜の像(バンコク製のレプリカ)



なるほど、モデルがあって、よかトピアの「パヤナーク」はそのレプリカなのですね。


この説明によれば、モデルはタイのチェンマイにある仏教寺院「ワットプラタート」の参道にあるとのことです。


ただレプリカとはいっても、バンコクで製作されて福岡まで運ばれてきた「made in Thailand」ですから、その意味では現地の本物だったということになるでしょう。

「A-Zあくね」の案内板に書いてあった「タイでつくられた」という説明も正しいようです。




この「パヤナーク」のモデルがあるという「ワットプラタート」の場所を検索して見ました。

(GoogleMapより)


タイの北西部あたりにあるのですね。



タイ国政府観光庁の公式サイトには、「ワット・プラタート・ドイ・ステープ」として観光案内が載っていました。



この観光案内によると、「ワット・プラタート」は650年以上前に建立された有名な寺院で、1080mのステープ山の山頂にあるとのこと。


参拝するには306段の階段をのぼらないといけないようですが(ケーブルカーもあるみたいです)、この階段の両端をながーく、大蛇が飾っているようです(上から下に這っている感じ)。


これがよかトピアの「パヤナーク」のモデルのようです。


よかトピアではモデルよりも長さが短くなって、先ほどの入り口サイズにおさまったのでしょうね。

それでも参道と同じく内と外との境で、出入りする人々を観察する役割は変わらなかったことになります。


「ワット・プラタート」はチェンマイの有名な観光地とのことですので、このブログをご覧になっている方のなかには行かれたことがある方もいらっしゃるかもしれないですね。




私はタイまで本物を見に行く機会は当面なさそうですが、せっかく南日本新聞社さんが教えてくださったよかトピアのモニュメントの原物ですから、阿久根には行ってみたい!

(よかトピア遺産を追いかけている「別冊シーサイドももち」的には、むしろタイよりも阿久根の方が本物なわけですし…)


そして「パヤナーク」を展示されている「A-Zあくね」さんは、車も売ってるスーパー(ホームセンターと一緒になっています)として、その筋では全国で知られた有名店。

実は前から一度行ってみたかったのです。



なので行くのなら、あえて仕事の出張ではなく、日曜日の個人のレジャーとして満喫するつもりです。


さっそくGoogleMapでルートを検索して見ました。

(GoogleMapより)


さすがに歩いてはいかないので(52時間って、ほんとにそれで着けるのでしょうか…)、車で再検索。

(GoogleMapより)



高速を使うと、3時間ほどで行けそうです。



『南日本新聞』の記者さんに聞いたところでは、九州新幹線を使っても最寄り駅から「A-Zあくね」まではレンタカーが必要になりそうでしたので、列車の乗り換えやレンタカーの手続きの時間なども含めて考えて、いっそ福岡から一気に車で行くことにしました。


日曜のドライブとしてもいい距離です。



熊本県の八代までを九州自動車道、そこから南九州西回り自動車道に乗り継いで、途中の未供用部分(熊本県水俣~鹿児島県出水)を国道3号で繋げば、阿久根まではほぼ1本道。


しかも「パヤナーク」が待つ「A-Zあくね」は、南九州西回り自動車道を阿久根北ICで降りて、それに繋がっている国道3号を走れば、もう道沿いです。

ナビも必要なさそうなルートで、これなら大丈夫そう。





というわけで、行って参りました。


日曜の朝9時に福岡を出発して、迷うことなく13時くらいには到着(GoogleMapの仰る通りでした。時間が余分にかかったのは、途中で基山・玉名・宮原と3か所もSA・PAを満喫したからです…)。



さて、「A-Zあくね」さんにはたどり着きましたが、肝心なのは「パヤナーク」の位置です。

実は「A-Zあくね」さんは敷地がすごく広いのに、駐車場のどこにあるかを記者さんに聞き忘れていたのです…。





敷地はこのようになっています。

(地理院地図Vectorで作成)


車の販売場所は別区画になっていて、それも合わせると広大です…。


スーパー(ホームセンター)の店舗の駐車場はこの部分。

(地理院地図Vectorで作成)


空中写真だと、こうです。

(地理院地図Vectorで作成)



これは探すのは大変だ…と思っていたのですが、出水市方面から国道3号でやってきて、この店舗の駐車場に入るときに、あっけなく見つかりました。




ここにありました。

(地理院地図Vectorで作成)



車を駐めると、目の前にこの案内板。

(福岡市史編さん室撮影)



確かに、南日本新聞社さんからの問いあわせで伺っていたように、このように書いてあります。


この龍神様は、タイで多くの技術者の手により、2年がかりで制作されたものです。1989年、福岡市制100周年記念行事のアジア太平洋博覧会(よかトピア)にアジアのシンボルとして登場し、後に熊本県のアジアコレクション展で県立図書館正面に展示されたものを、現在地に移転安置したものです。




少し離れたところに「七頭竜神」の石碑もありました。

(福岡市史編さん室撮影)



近づくと、石碑は平成31年2月3日の日付になっています。

案内板の見た目と比べると、石碑の方が新しそうです。

ただ、石碑のほかの面に文字はなく、なぜこの日に建立されたのかは分かりませんでした。


(福岡市史編さん室撮影)



そして、その後ろには…。

(福岡市史編さん室撮影)




いよいよ「パヤナーク」との対面です。

(福岡市史編さん室撮影)



公式記録の写真と比べるために反転させてみます。

(福岡市史編さん室撮影)



こちらが最初に見た公式記録の写真。

(西日本新聞社編『アジア太平洋博覧会―福岡’89』
〈アジア太平洋博覧会協会、1990年〉より)


色が退色しているのか(基礎部分など一部は塗り直されているようにも見えます)、ヘビ感が増してはいますが、よかトピアのものに間違いないです。



正面です。

(福岡市史編さん室撮影)



逆サイドにはもう1頭。

(福岡市史編さん室撮影)




離れて見ると、こういう場所に置いてあります。

(福岡市史編さん室撮影)


ちょうど池の淵の高いところ。

この池は大部分は水量がなく、降りられるようになっていました。



降りてみます。

(福岡市史編さん室撮影)

2頭が向かい合っています。

こう見ると大きい(長い)ですね。




もう少し近づきました。

(福岡市史編さん室撮影)

おお、なんと神々しい光が現れました!(逆光でレンズに光が入っていたみたいです…)



こちらが向かって左側のパヤナーク。

(福岡市史編さん室撮影)


こっちは右パヤナーク。

(福岡市史編さん室撮影)



もっと近寄ります。

左。

(福岡市史編さん室撮影)

(福岡市史編さん室撮影)


右。

(福岡市史編さん室撮影)




よかトピアの会場でこうやって向かい合い、その間を通っていく観客を見ていた姿を想像しながら、しばらくの間、眺めてしまいました(池から腕組みをして竜を見ながら、うんうんとうなずいたり、いろんな角度で写真を撮ったり、完全に怪しい人でした…)。


(福岡市史編さん室撮影)


(ちなみにその後は、「A-Zあくね」の店内をすみずみ歩き回って大満喫しました)




ところで「パヤナーク」の実物を見ながら、あらためて『南日本新聞』の記事が思い出されました。

記事のなかで貞刈さんはこのように仰っているのです。


モデルは蛇神の「ナーガ」。よかトピアではいつの間にか「パヤナーク」に名前が変わっていた。




記事では「ナーガ」と「パヤナーク」と「竜」の言い換えについて、タイ国政府観光庁福岡事務所がこう説明されていました。


「パヤナーク」は「ナーガ」の王の意味。タイには竜はいないが、観光ガイドでは竜にあてはめて紹介していることが多い。




よかトピアではこのモニュメントを「ナーガ」の王「パヤナーク」と呼んで、それを竜と訳し説明していましたが、確かに日本では伝わりやすいように思います。

顔も竜っぽいですしね。



ただ頭が7つあるのはなぜなのかとか、どうして蛇が神に見立てられたのかとか、仏教寺院で装飾に使われているのはどういう由来なのかとか、ちょっとまだ分からないことが多いです…。



そこで遅ればせながら、「ナーガ」についていくつか本を読んでみることにしました(阿久根に行く前に勉強しておけば良かったと大後悔…)。


そんなわけで、この勉強の結果はまた今度に。






【参考資料】

・『アジア太平洋博覧会―福岡'89 公式記録』((株)西日本新聞社編集製作、(財)アジア太平洋博覧会協会発行、1990年)
『アジア太平洋博ニュース 夢かわら版'89保存版』((株)西日本新聞社・秀巧社印刷(株)・(株)プランニング秀巧社企画編集、(財)アジア太平洋博覧会協会発行、1989年)
・『アジア太平洋博覧会―福岡'89 福岡市出展パビリオン 福岡鴻臚館─アジアから、そしてアジアへ─記録と資料』(福岡市経済農林水産局博覧会推進対策室企画・編集、(株)博報堂編集・協力、福岡市発行、1990年)
・草場隆『よかトピアから始まったFUKUOKA』(海鳥社、2010年)
・貞刈厚仁『Ambitious City―福岡市政での42年―』(松影出版、2020年)
・ウェブサイト
A-Zあくね https://a-zmakio.com/akune/
・南日本新聞 https://373news.com/





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Written by はらださとしillustration by ピー・アンド・エル