2025年3月28日金曜日

【別冊シーサイドももち】〈103〉よかトピア遺産に会いにいくー人気のご当地スーパーA-Zに謎の大蛇が生き続けていた編(その2)ー

     

埋め立て地にできたニュータウン「シーサイドももち」の、前史から現代までをマニアックに深掘りした『シーサイドももち―海水浴と博覧会が開いた福岡市の未来―』(発行:福岡市/販売:梓書院)。


この本は、博多・天神とは違う歴史をたどってきた「シーサイドももち」を見ることで福岡が見えてくるという、これまでにない一冊です。


本についてはコチラ。


この連載では【別冊 シーサイドももち】と題して、本には載らなかった蔵出し記事やこぼれ話などを紹介しています。ぜひ本とあわせてお楽しみいただければ、うれしいです。








〈103〉よかトピア遺産に会いにいくー人気のご当地スーパーA-Zに謎の大蛇が生き続けていた編(その2)ー


〈101〉では南日本新聞社さんからいただいた情報をもとに、鹿児島県阿久根市まで走りました。


これは阿久根市のスーパー「A-Zあくね」さんの駐車場に、よかトピアの展示物「パヤナーク」が「七頭竜神」という名で今も置かれていると伺ったからでした。

よかトピアとは、1989年に「シーサイドももち」で開催されたアジア太平洋博覧会の愛称です。




この情報のおかげで、36年を経て鹿児島の地で「パヤナーク」との対面を果たしました。


突如現れて駐車場をやたらと歩き回り、いろんな方向から「パヤナーク」を見ては感激する姿は、完全に変な人…。

行き交う買い物客から怪訝に見られながらも、これでまたひとつよかトピア遺産が増えたことにとても満足したのでした。


(福岡市史編さん室撮影)

(福岡市史編さん室撮影)

(福岡市史編さん室撮影)

(福岡市史編さん室撮影)

(福岡市史編さん室撮影)
鹿児島県阿久根市の「A-Zあくね」の駐車場に置かれている
「七頭竜神」こと、よかトピアの「パナヤーク」。
池の淵で2頭が向かい合っています。





ところが、その過程ではいろいろと分からないことが出てきました。



よかトピアでは、この「パヤナーク」像を「チェンマイ・ワットプラタートの参道の竜の像(バンコク製のレプリカ)」と説明していました。

タイのチェンマイにある寺院「ワットプラタート」の参道を飾っている竜の像をモデルにして、同国バンコクでつくった複製品だというのです。


「パヤナーク」を竜と言い換えながら説明しているのですが、タイに竜はいないそうなのです…。(パヤナーク=竜ではない??)



では、タイで「パヤナーク」とはどういう意味かというと、「ナーガ」の王なのだそうです。


「パヤナーク」の意味が分からないのに、もう1つ知らない単語「ナーガ」が増えました…。




さらには、どうもこの「ナーガ」は蛇神として信仰されているようですが、一方では、仏教施設の装飾にもよく使われているのです。



神と仏、それぞれとの関係はどうなっているのでしょう??



そしてよく見ると、「パヤナーク」の姿はだいぶん変わった形をしています。

頭が7つもあります…。



どうして蛇が神に見たてられたのかとか、仏教のデザインに取り入れられているのはどういう経緯があるのかとか、謎に頭が7つもあるとか、「パヤナーク」? 「ナーガ」?? 分からないことだらけです…。(きっと詳しい方には何をいまさらという基礎的なことだろうと思うのですが…。全然知らず、お恥ずかしい…)



そこで、今回せっかく阿久根で生き続けている「パヤナーク」に対面しましたので、これを機会にもっと知っておきたいと思い、福岡に戻ってからいくつか本を読んでみました。(行く前に読んでおけばよかったと激しく後悔しています…)




まずは「ナーガ」ですが、アジアで水神として広く信仰されている蛇のことだそうです。

「ナーガ」はサンスクリット語の「蛇」に由来する言葉です。


そしてこの「ナーガ」が、タイ語の発音では「ナーク」と聞こえるようなのです。


「ナーク(=ナーガ)」に「パヤ」をつけると、「パヤナーク」(พญานาค [phayaanâak])。

ナーガの王といった意味で、上級のナーガ神を指すそうです。




なるほどなるほど、とにかく蛇なのですね。


そうなると、まずは「ナーガ」(蛇神)から調べはじめた方が良さそうです。

そのなかの上級なものが「パヤナーク」なわけですものね。



ただそうはいっても、「ナーガ」はアジアの各地域でさまざまに伝えられ、信仰されているようです。

あらかじめもう少ししぼり込んでから調べはじめないと、「パヤナーク」にたどり着く前に迷子になりそう…。




そこで、よかトピアの(現在は「A-Zあくね」の)「パヤナーク」の一番目立っている特徴が何かといえば、例の頭が7つもあることのように思います(今は「七頭竜神」と呼ばれているくらいですし)。


頭が7つの「ナーガ」。

まずは、これを手がかりにしてみました。



そうすると、インド神話に7つの頭をもつナーガ王「ムチャリンダ」(「ナーガラージャ」の1人)が登場することがわかりました。


「ムチャリンダ」は仏教にも取り入れられました。

仏教では、菩提樹の下で瞑想するブッダが嵐に見舞われたときに、7回とぐろを巻いて自分の頭をブッダの頭上にもたげ、傘のようにしながら雨風からブッダを7日間守ったという話になっています。

その後、「ムチャリンダ」は人間に姿を変えて、仏に帰依したのだそうです。



このブッダを守る場面は、仏教の造形物の題材にもよく採用されています。

たとえばよかトピアの「パヤナーク」のご当地であるタイでも、このような仏像が見つかっています。




仏教では「ナーガ」をブッダに忠実な生き物として、ほかにもいろいろなデザインのなかに取り入れていきました。

ブッダが悟りを開いた日にその徳を守護していた「ナーガ」は、幸せの象徴と考えられているのだそうです。


タイのブッダイサワン礼拝堂の壁画(バンコク国立博物館)では、ブッダが母がいる天上界で教えを説き、地上へ降りてくるときのハシゴのようなものが、金色に輝く「ナーガ」の体として描かれています。

上から這ってきて顔は下にある状態なのですが、その顔は「パヤナーク」に似ています。


この礼拝堂の壁画は、HISOUR.comのサイトでGoogleマップを使ってバーチャルに見学することができますので、ぜひご覧になってください。

とはいえ、四方の壁にびっしりとブッダの生涯が描かれているので、この場面を探すにはちょっと苦労するのですが…。


「ナーガ」のハシゴが描かれている場面は、部屋の中央に安置されているシヒン仏像を正面に見て左手、手前から数えて3番目の壁です。

ちなみに2番目の壁に描かれた別の場面では、躍動的な7頭の「ナーガ」も見ることができます。



よかトピアの「パヤナーク」がモデルにしたのは、タイのチェンマイにある仏教寺院「ワットプラタート」の参道にあるものでした。


この参道というのは、山の上にある寺院へと続く長い階段なのですが、その両脇の手すりが「ナーガ」になっていて、ブッダのハシゴと同じく、やはり上から「ナーガ」が這ってきて、顔が下にある形です。


こういう仏教説話をもとにした「ナーガ」を取り込んだデザインは、「ナーク・サドゥン」と呼ばれていて、タイではよく見られるのだそうです。



よかトピアでは、この「ナーガ」がメーンエリア「アジア太平洋ゾーン」にあった「三和みどり・エスニックワールド」の門として使われていました。


タイの寺院で参拝者を迎えるように、博覧会では観客を迎え入れていたのですね。


よかトピアで「パヤナーク」が置かれていた場所については、〈101〉をご覧ください。




一方、ヒンドゥー教でも「ナーガ」はよく知られています。


あるとき「ナーガ」が地上の水を飲み干して、スメール山(仏教でいう須弥山)の黒雲になってしまいました。

インドラ神(仏教でいう帝釈天)がこれを雷によって砕き、ふたたび水が地上にあふれ出した、という話があるのだそうです。


これにより、「ナーガ」は水とそれがもたらす豊穣の象徴として、アジア各地で広く信仰されるに至っています。

そのため、「ナーガ」は水に関わる場面にもよく現れ、そうしたデザインにも使われるようになりました。



タイのナコーン・パノムでは、雨安居(仏教で雨季にこもって修行する期間)のあとにおこなわれる祭り(ライ・ルア・ファイ)で、イルミネーションできらびやかに輝く船がメコン川に浮かべられるのですが、王の船をかたどった船には、「ナーガ」が飾られるそうです。




また、同じころタイの南部では「チャクプラ」が開かれ、仏像を載せた船(ルア・プラ)や山車(ノム・プラ)がパレードします。

船の先端では「ナーガ」が首をもたげていて、仏像を安置するために船上にもうけられた建物(ブッサボック)にかけられたハシゴにも「ナーガ」がかたどられることがあります。



いずれも仏教だけでなく、水と「ナーガ」との関わりもうかがわせる祭りです。




蛇がインド神話・仏教・ヒンドゥー教と宗教をまたぎながら、仏や水と交わり、人々の信仰を集めていったことが、アジア各地でさまざまな「ナーガ」の姿を生み出したということなのでしょう。

その1つがタイの「パヤナーク」のようなのです。


中国や日本では、蛇とともに竜が仏教や水との関わりのなかで信仰を集めてきましたので、「ナーガ」や「パヤナーク」の複雑な性格を説明するときに「竜」と置き換えた方が、イメージしてもらいやすいのでしょうね。

よかトピアでの「パヤナーク」=竜の説明も、そういうことだったのではないでしょうか。




ただ、「ナーガ」(蛇)と竜とでは形に大きな違いがあります。


なかでも、脚があるかないかという点は決定的です。




よかトピアの「パヤナーク」を見ると脚は見えませんので、やっぱり竜ではなくて蛇ということになるのではないでしょうか。



「いや、さっきの写真で見たよかトピアの「パヤナーク」は脚があったじゃん」と思った方(私も最初そうでした…)、もう一度よーく見てみてください。


(福岡市史編さん室撮影)



確かに脚は見えるのですが、7つのナーガの頭の後ろには、もう1つ別の頭が…。


(福岡市史編さん室撮影)



そういう言い方だとだいぶんホラーな感じですが、このよかトピアの「パヤナーク」、実は別の生き物がまるで「ナーガ」を吐き出しているかのような姿になっているのです。


「ナーガ」の脚かと思ったのは、「ナーガ」を吐き出している別の生き物の脚でした…。





この別の生き物、「マカラ」という想像上の生き物だそうです(また、知らない名前の生き物が出てきた…)。



もとはインド神話の「ヴァルナ」(仏教では水天)やヒンドゥー教の「ガンガー」(女神。ガンガーはガンジス川のこと)の乗り物で、ワニやライオンやゾウなどの特徴を合わせ持つ顔の怪魚のことなのだとか。

大きな口でいろんなものをのみ込んだり、吐き出したりするようです。




そう言われても、全然その姿を想像できないのですが、仏教だと「摩伽羅」と書いたり、「摩竭魚」と呼んだりして、竜のような顔つきで、屋根に置かれるシャチホコのモデルにもなっているとのこと。



「摩竭魚」であれば、12世紀半ば過ぎに日本で編集された『今昔物語集』にこんな話が載っていることを思い出しました。


おおまかに意訳すると、こういう話です。


天竺(インド)の大勢の商人たちが宝を求めて航海をしていると、海上に2つの太陽と白い山が見えた。海水の流れが急になり、それはまるで大きな穴に吸い込まれるようだった。

船頭が言うには、「これは魚の王、摩竭大魚だ。2つの太陽は魚の目で、白い山は歯だ。流れが急になったのは大魚の口に吸い込まれようとしているのだ。船が口に近づいたら、もう帰ってこれないぞ。早く仏に助けを乞うんだ」。

これを聞いて商人たちが一心に観世音菩薩の名をとなえたところ、大魚は口を閉じて海に潜っていき、難を逃れた商人たちは無事に航海を終えることができた。

なお、この摩竭大魚は命が尽きたあと、人に生まれ変わって僧になったという。


(『今昔物語集』巻第5・第28 「天竺の五百の商人、大海において摩竭大魚(まかつたいぎょ)に値(あ)える語(こと)」)




この「摩竭大魚」は、話の内容からするとクジラをイメージしてそうですけど、インドの商人たちが「摩竭大魚」と称される生き物にのみ込まれそうになった話として語られ、そのピンチを救ったのが観音様であるところに、インド神話の「マカラ」が仏教に取り入れられ、日本にも伝わってきた一端を知ることができます。




しばらくこの「マカラ」をネット検索していましたら、禅宗の1つである黄檗宗(おうばくしゅう)の寺院のシャチホコによく見られるという話を複数見かけました。




何という偶然。


「シーサイドももち」の隣りにある早良区百道には、黄檗宗の「千眼寺」があるのです。

そしてこの千眼寺、福岡市内で唯一の黄檗宗の寺院です。


(GoogleMapより)



江戸時代の『筑前国続風土記拾遺』(福岡藩の学者である青柳種信が編集した地誌)によれば、千眼寺は元禄11(1698)年に開山されたとのこと。

創建当初は「曇華庵」と呼ばれていたそうですが、正徳3(1713)年に「千眼寺」と改められたと書かれています。




埋め立て地である「シーサイドももち」を特徴づけたまち、西新・百道はもともとは「百道松原」と呼ばれていた松林でしたが、江戸時代から東には紅葉八幡宮が、西にはこの千眼寺がそれぞれ鎮座して、「百道松原」の東西のランドマークになっていました。

紅葉八幡宮は移転しましたが、千眼寺は今も同じ場所にあります。



おそらく何百回とその前を通っているのですが、そういえば屋根の上をじっくり見たことはないですし、そんなことを考えたこともありませんでした…。


千眼寺までは、福岡市博物館から歩いて15~17分の距離。



これはもう行くしかありません。


(GoogleMapより)



さっそく出かけてきました。


入り口はこんな感じ。

(福岡市史編さん室撮影)


福岡市の東西の幹線道路である明治通りに面していて、車がよく渋滞する場所、さらにはすぐそばに西鉄の藤崎バス乗継ターミナル、福岡市営地下鉄の藤崎駅、早良区役所などがあって、人通りも多いところなのですが、なぜかここはいつもとても静かです。


この入り口の門をくぐると駐車場、その奥には山門があって、本堂へと続いています。



今回は屋根が見えれば良いので、中には入らず塀の外の道路から覗いてみます。


(福岡市史編さん室撮影)


見えました!


手前が山門の屋根、奥が本堂の屋根。

両方ともしっかりシャチホコ的なものが乗っています。



カメラをズームしてみます。



まずは手前の山門の方。


(福岡市史編さん室撮影)


ありました、脚!


爪も見えますね。



つぎに奥の本堂はというと…。


(福岡市史編さん室撮影)



こちらは爪はもちろん、関節(ひざ?)もあります。



どちらもアゴが長めで、歯があって、その顔つきはワニや竜に似ています。

ウロコやヒレがあって、背ビレはギザギザ。


このあたりはシャチホコもよく似ているのですが、シャチホコの場合は脚がなくてヒレだけなのですよね。

あくまで魚の形。




そうすると、千眼寺の屋根に乗っているのは、やはりシャチホコではなくて、「マカラ」(摩伽羅)で間違いないようです。



よかトピア(今はA-Zあくね)の「パヤナーク」と並べてみると、こんな感じです。

(福岡市史編さん室撮影)



まさかこんな普通に百道にもマカラがいたとは…。


「パヤナーク」のおかげで、今回思わぬところであらためてアジア太平洋とのつながりを感じることになりました。




タイでは、この何でものみ込んで吐き出す「マカラ」が「ナーガ」を吐き出しているデザインが好んで使われるそうで、寺院の手すりなどではむしろ珍しくない姿なのだとか。


なお、「マカラ」はこの世とあの世の境界に現れるのだそうです。

なるほど、ハシゴといい手すりといい、この世の私たちと聖なる空間とを結ぶデザインとして、確かにふさわしい生き物のように思います。



異空間を結ぶデザインである「(「マカラ」に吐き出されている)パヤナーク」は、よかトピアではアジア太平洋の現地を再現した「三和みどり・エスニックワールド」の出入口に置かれていました。

福岡から別空間へとジャンプさせる役割として、適任だったのかもしれませんね。


今は「A-Zあくね」さんで池をじっと見つめて水辺を守るのと同時に、楽しい買い物とのであいへも誘っている、よかトピア遺産「パナヤーク」の話でした。








【参考資料】

・『アジア太平洋博覧会―福岡'89 公式記録』((株)西日本新聞社編集製作、(財)アジア太平洋博覧会協会発行、1990年)
・『アジア太平洋博ニュース 夢かわら版'89保存版』((株)西日本新聞社・秀巧社印刷(株)・(株)プランニング秀巧社企画編集、(財)アジア太平洋博覧会協会発行、1989年)
・『アジア太平洋博覧会―福岡'89 福岡市出展パビリオン 福岡鴻臚館─アジアから、そしてアジアへ─記録と資料』(福岡市経済農林水産局博覧会推進対策室企画・編集、(株)博報堂編集・協力、福岡市発行、1990年)
・草場隆『よかトピアから始まったFUKUOKA』(海鳥社、2010年)
・貞刈厚仁『Ambitious City―福岡市政での42年―』(松影出版、2020年)
・スメート・ジュムサイ著・西村幸夫訳『水の神ナーガ アジアの水辺空間と文化』(鹿島出版会、1992年)
・那谷俊郎著『龍と蛇〈ナーガ〉─権威の象徴と豊かな水の神─』(株式会社集英社、2000年)
・齊木崇人監修・杉浦康平企画構成『霊獣が運ぶアジアの山車─この世とあの世を結ぶもの─』(神戸芸術工科大学アジアンデザイン研究所シンポジウムシリーズ、工作社、2016年)

・ウェブサイト
 ・A-Zあくね https://a-zmakio.com/akune/
 ・南日本新聞 https://373news.com/




#シーサイドももち ##アジア太平洋博覧会 #よかトピア #パヤナーク #ナーガ #竜神 #タイ #阿久根 #A-Z  #マカラ #摩伽羅 #摩竭魚 #千眼寺 #「パヤナーク」、どうか末永くお元気で


[Written by はらださとし/illustration by ピー・アンド・エル] 

(2025.3.28 誤字を修正しました)

2025年3月21日金曜日

Mingu: Folk Implements - Designs in Everyday Life, Design for Life -

Period: Tuesday, January 5th ~ Sunday, April 13th, 2025
Venue: Feature Exhibition Room 1 - 4
Opening Hours: 9:30am - 5:30pm (last admission: 5:00pm)
Closed: Mondays
Charge:
 ・Adults: 200yen
 ・High school and University students: 150yen
 (No charge for Junior High School Students and younger)



The term “mingu” was coined by Shibusawa Keizo(1896-1963), a well-educated economist, and is a collective term for folk implements and artifacts made or used by the general public for their everyday needs. In other words, it refers to the tools that we have always used in our daily lives.

Folk tools have been devised and improved, with simple shapes and designs in order to make people's lives more comfortable. People have also made everyday items from various natural, locally-sourced materials since ancient times.

However, since the Japanese economic miracle (1955 - 1973), new materials have been developed at a rapid rate, and technology has evolved, replacing traditional folk tools with industrially-made mass-produced goods. Our lifestyles and mindsets have shifted significantly along with these changes.

Now is the time to rethink our way of life by learning from these folk implements. They are filled with the experiential “wisdom of life” of their makers and users and can help us to understand the transition of our culture from ancient to modern times.

This exhibition is introducing a wide variety of materials and uses of folk tools, mainly daily essentials, selected from the museum's collection. In addition, the exhibition is held in collaboration with the Hakata Traditional Craft and Design Museum. Both venues are exhibiting traditionally crafted objects that have been produced for a long time.

Please come and see the new styles and traditions of contemporary craftsmen and artists recommended by the museum.

Exhibits are presented in four categories:

1. Materials and regional characteristics of folk tools

This category displays folk tools by material, such as wood, bamboo, straw, and other plants, as well as introducing unique tools made by various local processes.

【Cylindrical bamboo fishing basket for crabbing】
By grasping the conditions of the river and setting this tool in a place where the crabs are likely to gather, the fishermen used this fishing tackle to catch river crabs. The entrance is designed so that the crabs cannot escape once they are inside.

 
【Rice basket】
This bamboo basket was used to store cooked rice mainly in summer. It is woven to provide better ventilation and to prevent the rice from spoiling. A handle and stand are attached to the basket so that it can be hung or placed under the eaves in a breathable space.



2. Folk tools suitable for daily life

This category introduces folk implements that were used in the living environment, such as cooking and storage tools, as well as those related to fire, which was an important energy source for all aspects of contemporary life.

【Hot-water bottle】
This ceramic hot water bottle was used in Japan approximately 100 years ago.
It was filled with boiling water wrapped in cloth, and placed in a futon to warm the feet and body.



【Bread baking machine】
This bread baking machine was used on top of a small charcoal grill. 
It has two aluminum plates inside, one on the top and one on the bottom.


3. Aesthetic design

This category showcases the designs of the period by displaying clothing and textiles used in a variety of situations, from everyday casual to formal and special occasions.


【Hagitōjin work kimono】
A unique work wear from Tsutsu in Tsushima City, Nagasaki Prefecture, made of more than 40 pieces of scrap cloth, similar to a quilt, with narrow sleeves. It was worn from fall to spring for work in the mountains and sea.


4. Local arts and crafts

This category begins with Noma Yoshio's collections from various regions of Kyushu and continues with the introduction of traditional crafts representing Fukuoka City, such as textiles, dolls, magemono (wooden containers), papier-mâché, spinning tops, okiage, and multi-layer glass. Additionally, there are works by artisans recommended by the Hakata Traditional Craft and Design Museum.

【Helmet made of multi-layer glass】
This beautiful helmet is seen at the Boys' Festival, and is made of multi-layered colored glass, with different qualities. It celebrates a boy's birth and the family's wish for the boy to grow strong.


【Married couples' spinning tops】
This is a pair of decorative spinning tops from Hakata to pray for matrimonial happiness and good health. They originated as part of an acrobatic performance with spinning tops on the tip of a sword or fan.


2025年3月14日金曜日

【別冊シーサイドももち】〈102〉福岡刑務所があった時代を思いながら跡地を歩くー尹東柱と福岡刑務所ー

     

埋め立て地にできたニュータウン「シーサイドももち」の、前史から現代までをマニアックに深掘りした『シーサイドももち―海水浴と博覧会が開いた福岡市の未来―』(発行:福岡市/販売:梓書院)。


この本は、博多・天神とは違う歴史をたどってきた「シーサイドももち」を見ることで福岡が見えてくるという、これまでにない一冊です。


本についてはコチラ。


この連載では【別冊 シーサイドももち】と題して、本には載らなかった蔵出し記事やこぼれ話などを紹介しています。ぜひ本とあわせてお楽しみいただければ、うれしいです。








〈102〉福岡刑務所があった時代を思いながら跡地を歩くー尹東柱と福岡刑務所ー


この連載も100回を超えて地道に続けていますと、目に留めてくださる方もじわじわと増えてきたように思います。

記事をきっかけにさまざまなお尋ねやお声かけ、また情報などをいただくことも増えました。どうもありがとうございます。

シーサイドももち地区を中心に、百道&地行地区・西新地区(の、主に海側)の細かい歴史を調べること100回。積み重ねてみてこうしたリアクションをいただくと、「やってみるもんだなあ」と感慨深く思う昨今です。




先日も、本連載の記事を読まれた新聞社の記者さんから、戦時中の福岡刑務所に関するお尋ねがありました。

福岡刑務所(かつては福岡監獄と呼ばれていました)は昭和40(1965)年に現在地である糟屋郡に移転するまで百道の地にあったことは、以前こちらのブログでご紹介しました。




これらの各記事では、主に監獄ができるまで~完成した頃、明治~大正時代当時の様子についてを紹介しましたが、今回は昭和20年代についてのお問い合わせです。



話を聞いてみると、昭和18(1943)年に韓国の詩人・尹東柱(ユン・ドンジュ)が福岡刑務所に収監され、昭和20(1945)年2月に獄死。今年は没後80年ということで調べているとのことでした。


尹東柱といえば、韓国では知らない人はいないほどの有名な詩人です。

韓国の学校では必ず習うという尹東柱ですが、どれくらいメジャーかというと、とくに縁もゆかりもない(と思われる)普通のマンションの館銘板碑(マンション名が書かれた碑)の裏に飾りとして尹東柱の詩が彫られていることもあるくらいの存在なのだとか(これは後から聞いた話です)。



そんな方が百道に縁があったとは。

建物(施設)としての福岡監獄(刑務所)の造りや来歴などに気を取られるあまり、そこに関わった人物についてはほとんど意識が及んでおらず…。

※ 文章中、「福岡刑務所」と「福岡監獄」の表記が混在しているのはわたしの意識が「監獄」時代にあることの弊害です。すみません…。




とはいえ、福岡刑務所についてはさまざまな事件や収監された人物からの視点として、文学作品やルポルタージュなどにも多く登場します。


有名なものとしてまず思い浮かぶのは、昭和38・39(1963・1964)年に起きた連続殺人事件・西口彰事件をモデルに書かれた佐木隆三の「復讐するは我にあり」です。昭和54(1979)年に今村昌平監督によって映画化されたことでも超有名作品ですよね。

西口彰事件では福岡拘置所で絞首刑となった西口彰は、事件の前にも詐欺事件で福岡刑務所に収監された過去があるという人物でした。

西口彰事件があったのは、ちょうど百道に刑務所があった最末期に当たります。


また、大貫進名義で発表した藤井礼子による「死の配達夫」(『藤井礼子探偵小説選』〈論創ミステリ叢書 90〉所収、論創社、2015年)では、百道の福岡刑務所の近くにある昭代団地(昭代住宅)が舞台となっており、福岡刑務所に関する記述も多く登場します。これは作家自身が昭代住宅に住んでいたためと言われてます。




さて話を戻しますが、ここ百道の地はそんな尹東柱最期の地ということで、「福岡・尹東柱の詩を読む会」の方々によって毎年百道での追悼式が行われているそうなのです。

せっかく百道でそのような催しが行われていて、しかも今年は没後80年。このタイミングで尹東柱と百道の繫がりを知ったのも何かの縁かも…。


ということで、2月24日(月・祝)に行われた「尹東柱詩人追悼80周年記念式」の様子を取材してきました。


場所は百道西公園。現在福岡拘置所のすぐ北側にある公園です。

ここは、かつて福岡刑務所があった敷地のすぐ西側に面した場所でもあります。


(地理院地図Vectorより作成)
公園は本当に拘置所のすぐ隣にあるんですね。




さすが没後80年ということもあってテレビや新聞社などたくさんの取材陣も集まっており、また駐福岡韓国総領事館からも総領事・領事が参加されていました。



ぞくぞくと参列者が集まってきます。


多数のテレビカメラ、そして記者の皆さん…。



黙祷から始まった式典では尹東柱の詩の朗読や、尹東柱が愛唱したというアメリカの歌謡「なつかしきヴァージニア」の合唱などが行われ、故人を偲びました。


詩の朗読や合唱などで詩人・尹東柱を偲びます。


「読む会」の馬男木代表もおっしゃっていましたが、こうして皆さんが尹東柱の詩に心ひかれるなかで、ゆかりある百道の地で追悼式を行っていること自体が、また大事な百道の歴史の一つとなっていくのだなあと感じたことでした。

皆さんで記念撮影と取材する皆さん。



そして午後からは80周年特別企画として、九州大学西新プラザに会場を移して「尹東柱を読み継ぐ2025 尹東柱没後80年」と題した記念講演会が開催されました(主催:福岡・尹東柱の詩を読む会/駐福岡大韓民国総領事館、後援:九州大学韓国研究センター)。


ここでは作家の姜信子さんによる講演「尹東柱 ディアスポラの抒情」があり、つづいて九州大学韓国研究センターの辻野裕紀先生を中心としたパネルディスカッション「私の好きな詩、それぞれの尹東柱」では、九州大学と西南学院大学の学生さんたち、そして姜信子さんも登壇され、尹東柱作品について活発な議論がなされていました。


訳詩の解釈などについての話も興味深い発表でした。






…さて、この催しからさかのぼること約1週間。

尹東柱の命日である2月16日にあわせて、今年は韓国から尹東柱のご遺族が来日されていました。

尹東柱は同志社大学在学中に特高警察によって「治安維持法違反容疑」で逮捕されています。今回、同志社大学では尹東柱に対して名誉文化博士の学位を贈呈することが決まり、ご遺族の来日はその授与式への参列も目的の一つでした。



その後、ご遺族らは今年の命日にあわせて書肆侃官房から出版された氏の対訳詩集『空と風と星と詩 尹東柱日韓対訳選詩集』(訳・伊吹郷)の出版にあわせ、福岡市にもお見えになりました。

ご遺族の代表は、尹東柱の甥であり、ソウルにある成均館大学の名誉教授である尹仁石(ユン・インソク)さんです。



その折り、「かつて福岡刑務所があった場所を訪れたい」とのご希望があり、その巡見にわたしも同行させていただきました。


中心の男性が甥の尹仁石先生。
(わたしが邪魔でスミマセン…)


ほかにもその娘さんや韓国の学生さんなども一緒に来福されていたのですが、今回はさらに複数社のマスコミの皆さんも取材に集まっており、かなりの大所帯で福岡市地下鉄の藤崎駅から当時の海岸線であるよかトピア通り付近まで、約1.2kmほどの道のりを往復しました。


ご遺族より取材陣の方が多い…!




「尹東柱の詩を読む会」の代表である馬男木さん先導で、福岡刑務所の周囲をまわるようなルートを歩きます。


(地理院地図Vectorで作成)
藤崎駅がある「藤崎」交差点を出発し、刑務所跡地に沿って歩きます。
現在、早良区役所や文化センターがある一画は全部跡地です。
(福岡拘置所との境のまっすぐな道が刑務所の塀でした)



また、この日はちょうど2月の寒波が訪れた日で、気温も6~7度ほど。そして海に向かって川沿いを歩いたため風も強く日陰では震える寒さでしたが、皆さん「当時もこんなに寒かったのだろうか」と往時に思いを馳せておられました。


現在の九州郵政研修センターも跡地の一つです。

最初に紹介した追悼式の会場でもある
百道西公園にも立ち寄りました。
(後ろに見える白い建物は福岡拘置所)




また仁石さんは建築がご専門ということで、韓国の監獄建築についてもいろいろとご教示くださり、福岡監獄を調べる上でも大変勉強になった1日となりました(一人だけこの日の目的がずれていた気もしないでもないのですが…)。



本連載からのご縁で今回のご遺族とのゆかりの地巡見というところまでつながった今回ですが、よくよく考えてみると、こんなにきちんと福岡刑務所跡地を歩いてみたのは初めてのことかもしれないと気付きました。

それはわたしがあまりにも建築当時のことに意識がいきすぎていたせいでもあるのですが、もう一度原点にかえってちゃんとその場所を見て歩いてみることの大切さを改めて知った、貴重な機会となりました。






【参考資料】

・『福岡犯罪50年史 戦後編』(夕刊フクニチ新聞社「昭和50年史刊行会」、1976年)
・『福岡市文学館企画展 福岡ミステリー案内ー赤煉瓦館事件簿』(福岡市総合図書館文学・文書課、2006年)
・二沓ようこ「獄中で鳥を飼うということー文学の磁場としての福岡刑務所」(『敍説Ⅲー20』花書院、2022年)
・ウェブサイト
・同志社大学/お知らせ 詩人・尹東柱(1917〜1945)に対して同志社大学名誉文化博士の学位を贈呈(2025年1月20日更新)/https://www.doshisha.ac.jp/news/detail/001-Me02nh.html
・図書出版論創社ウェブサイト(藤井礼子探偵小説選)/https://ronso.co.jp/book/%E8%97%A4%E4%BA%95%E7%A4%BC%E5%AD%90%E6%8E%A2%E5%81%B5%E5%B0%8F%E8%AA%AC%E9%81%B8/

※ 写真はすべて福岡市史編さん室撮影。



#シーサイドももち #福岡監獄 #尹東柱 #復讐するは我にあり #跡地を歩こう


[Written by かみね/illustration by ピー・アンド・エル] 

※誤字を修正しました(2025.3.15)